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すみよしじんじゃ

住吉神社の御由緒・歴史
東京都 月島駅

ご祭神《主》底筒之男命,中筒之男命,表筒之男命,《配》息長足姫命(神功皇后),(東照御親命)徳川家康
創建時代正保三年(1646)
ご由緒

「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕れた伊邪那岐大神の御子・底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱の神です。
 神功皇后三韓征伐の際、皇后自ら御親祭をなさり住吉三神の御加護により無事達成なさりました。その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現・大阪市西淀川区佃)にて、住吉三神を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現・田蓑神社)の起こりです。
 その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。
 その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫三十三人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分身霊を奉戴し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保三年(1646)六月二十九日、住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。

歴史
由緒[編集] ※新暦導入以前(1872年以前)の日付は和暦による旧暦。丸括弧内は西暦で、1581年以前はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦。 天正年間(1573- 1592年)、徳川家康が上洛し、摂津国西成郡佃村(現・大阪市西淀川区佃)にある住吉神社(改称の経緯:田蓑神社→田蓑姫神社→住吉神社→田蓑神社)に参詣した際、佃村および近隣の大和田村(現在の西淀川区大和田付近)の漁民が神崎川に渡し船を出して家康一行を運び、白魚などを献上した。これを機縁として、以後、両村の漁民は家康から西国海上隠密の用を受けたり、大坂の陣の際には軍船や魚の調達をするなどした。また、家康は両村の漁民に対し、恩...Wikipediaで続きを読む
引用元情報住吉神社 (東京都中央区)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BD%8F%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA%29&oldid=97896081

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