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なみよけじんじゃ(なみよけいなりじんじゃ)

波除神社(波除稲荷神社)のお参りの記録(4回目)
東京都築地市場駅

投稿日:2026年01月28日(水) 19時43分40秒
参拝:2026年1月吉日
今年はお正月に行けなかったぁ😣
築地本願寺様から波除神社様へお参りに行きました🙏🏻

★波除神社★
 今から370年程前、この築地一帯は一面の海でした。
 江戸開府(1603年)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見えます。
 開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。
 そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。

 或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。
皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2年(1659年)の事です。
 人々は、その御神徳のあらたかさに驚き、稲荷大神に 『波除』 の尊称を奉り、又雲を従える“龍”、風を従える“虎”、一声で万物を威伏させる“獅子”の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりです。

 それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、災難除•厄除•商売繁盛•工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。
 その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、現在の如く繁華街となったのであります。
ー波除神社HPよりー
波除神社(波除稲荷神社)の御朱印
通年御朱印
お正月の御朱印は12日迄だったので今年はいただけませんでした😢
波除神社(波除稲荷神社)の授与品その他
参拝の栞
通年御朱印には、本物の木を和紙に貼った特製の栞が付いてきます(数量限定)栞は3ヶ月ごとに柄が変わります😊(1月〜3月、4月〜6月、7月〜9月、10月〜12月)
今年のデザインは、猫の絵柄になりました😻
4月からは、どんな猫様が描かれているのか楽しみです😺
波除神社(波除稲荷神社)の鳥居
☆鳥居⛩️☆
波除神社(波除稲荷神社)の本殿・本堂
☆御社殿と社務所☆
波除神社(波除稲荷神社)の本殿・本堂
☆御社殿☆
 衣食住•殖産工業•商業の守り神である倉稲魂命をお祀りし、波除様と尊称されます。
 現在の社殿は昭和12年に出来たもので、御祭神の繋がりが有る伊勢の神宮(外宮)と同じ神明造で造られており、国産の檜が使用され、戦前では東日本で最後に御造営された神社の御社殿です。
波除神社(波除稲荷神社)の本殿・本堂
波除神社(波除稲荷神社)の歴史
☆鉄製天水鉢(中央区文化財)☆
 尾張の廻船業者•春入(つきいれ•注文に応じて米や餅をつく職人)業者•尾張屋弥八なる人物が世話人となり、尾張徳川家の蔵屋敷に出入りした小揚(こあげ•蔵の荷の搬入出を扱う労務者)連中が経費を出し合って、天保9年(1838年)9月に奉納したもの。
 深川の鋳物師大田正次の鋳造と記されています。
波除神社(波除稲荷神社)の像
☆七福殿☆
 毎月七日の七福神参りの際に御神像を安置する社殿です。その月の七福神の御神像が七日に安置されます。また七日以外では祭典の際に祓所としてお祀りされます😊
波除神社(波除稲荷神社)の歴史
☆昆布塚☆
 昆布全般の代々の供養のため平成28年12月8日に建立され裏に「御比呂米代々供養」と彫られています。
比呂米(ひろめ)とは797年に書かれた『続日本紀』に初めて記述された昔の昆布の呼び名です。
波除神社(波除稲荷神社)の歴史
☆玉子塚☆
 平成5年11月に、東京鶏卵加工業組合がその創立三十周年を記念して建立。
寿司屋•料理屋等で主に使用される業務用の厚焼き玉子を作る業者にとっては日々新鮮な玉子を大量に使用することが必要であり、それによって生業が成り立っている事に感謝し、使用した玉子への供養と古より如何に玉子が世に優れた食材であったかを人々に顕彰する為に建てられました。毎年10月に会員が参列し塚に玉子他をお供えして、玉子塚供養祭が執行されます。
波除神社(波除稲荷神社)の歴史
☆鮟鱇塚と活魚塚☆
 鮟鱇塚は昭和48年7月に魚河岸の仲買の尾邦•三浦啓雄氏により建立。
三浦啓雄氏が亡き父浜七の君の志を継ぎ、商う鮟鱇の御霊を慰め又この鮟鱇の世にも美味なることを多くの世の人々に知らしめんとして建立されました。毎年鮟鱇が旬をむかえ始める10月後半~11月に、鮟鱇•魚他がお供えされ尾邦様により魚霊祭鮟鱇塚祭が執行されます。

 活魚塚は昭和59年5月に、魚河岸で活魚を扱う仲買の団体、東京築地魚市場活物組合により建立。
文字通り活魚を扱う仲買の方々にとっては直接魚を活けじめして血抜きをする日々であり、それが自分の生活の糧でありその魚を食する事により人間が生かされているという八百万の神の御恵みを頂かなければ人間は生きてゆけない事に感謝しその事を多くの人々に知らしめる目的で建設されました。毎年5月~6月に、塚と御本殿夫々に活けじめの見事な鯛がお供えされ、先ず塚で続いて御本殿で活魚供養魚霊祭が百人を超す会員の参列の下で執行されます。
波除神社(波除稲荷神社)の歴史
☆海老塚☆
 昭和48年9月に東天会てんぷら料理協同組合と(株)海老の大丸により建立てんぷらは魚•野菜などの恵みを調理する生業ゆえに、その恵みに感謝し敬意をはらいその道の精進を重ねる意を、分けてもてんぷらを象徴する海老の供養の塚として建立されました。
夏こそてんぷらを掲げて毎年7月に、塚に海老やてんぷらの種として使用される野菜他がお供えされ組合員により魚霊祭海老塚祭が執行されます。
波除神社(波除稲荷神社)の歴史
☆すし塚☆
 昭和47年11月1日に東京都鮨商環境衛生同業組合(現•-生活衛星―)により建立。
 日本の風土が育てた万人が好む食べ物 すし それを調える為に調理をしてきた魚の霊に感謝をし慰め更にはすしが永久の食べ物として発展させていく決意の表明として立てられました。
揮毫は時の副総理三木武夫氏です。
毎年11月1日の全国すしの日に合わせ、塚にすし種となる魚介他がお供えされて、組合員により魚霊祭すし塚祭が執行されます。
波除神社(波除稲荷神社)の末社・摂社
☆末社☆
【御祭神】
天照大神 •大国主命
少彦名命 •天日鷲命
波除神社(波除稲荷神社)の芸術
☆摂社 弁財天社☆
 学芸の才能と豊かな財をなす福徳の神、市杵島姫命をお祀りこの御祭神を俗に弁財天と称することから弁財天社と呼ばれ、江戸時代の御本殿の御創建に時を同じくお祀りされ、縁の有る事から摂社として大切にお祀りされています。
 中に収められている「お歯黒獅子」は江戸時代に東都名物で在った雌の大獅子を祭礼で担ぐ様に高さ一尺の台座を含め高さ2.2m•両耳幅2.5m•総重量700kg 総漆塗り一木造で、木彫•加賀獅子頭の名工の流れをくむ現代屈指の彫刻師•知田清雲氏とそれを支えた熟達の加賀の職人達の技により、紅色の肌地にお歯黒を施し金箔押しの巻き毛で腰高の姿に平成14年再興され、この雌を表す頭の宝珠の中に弁財天•市杵島姫命の御神像が収められています。
波除神社(波除稲荷神社)の芸術
波除神社(波除稲荷神社)の芸術
☆獅子殿☆
 江戸時代、厄除•災難除の象徴として多くの参詣者を集め又当神社祭礼「つきじ獅子祭」の名称の元をもなした「厄除天井大獅子」は江戸末期に焼失以来その復興を待たれておりましたが、平成2年に神社の御鎮座330年を記念し、樹齢約三千年の黒檜(ねず)の原木を用いて、高さ2.4m•幅3.3m•重さ1t 往時に勝るとも劣らぬ名実共に日本一の厄除天井大獅子として、加賀鶴来の現代の名工•知田清雲氏とその工房の手により再興され、神楽殿を基礎より全面改築された獅子殿に納められました。
 故実の通り、おまいりの方が願いを託された「願い串」をこの天井大獅子の舌の上の収め籠に納め念じると、願い事を大獅子様におのみ頂きかなえて頂けると、今も多くの方々のお参りがございます。この「願い串」は専用の箱に収められ一年分を十二月第三土曜日に執り行われるお火焚祭でお焚き上げを致します。
波除神社(波除稲荷神社)の芸術
波除神社(波除稲荷神社)(東京都)
☆願い串と籠☆
波除神社(波除稲荷神社)の芸術
波除神社(波除稲荷神社)の歴史
☆錦絵☆
 明治元年に完成し明治5年に焼失した日本で最初のホテル「築地ホテル館」が描かれた錦絵。錦絵の右端をみると波除神社の社殿を見ることが出来ます。
 社殿の位置は現在と同じ場所にあり社殿の向きも現在と同じであるが、鳥居の位置と向きは現在とは異なり境内左側の摂社•末社あたりに現在の晴海通りを向けた(社殿向かって左側)にあったことがわかります。
 当時の社殿は関東大震災で焼失し、昭和12年に再建、築地市場開業にあわせ鳥居は現在の向きに新たに建て直されました。
波除神社(波除稲荷神社)の像
波除神社(波除稲荷神社)の歴史
☆奉納 吉野家碑と奉納 辯戈天 魚がし碑☆
 吉野家碑は、平成28年8月31日に牛丼で有名な吉野家様により建立。
吉野家は日本橋にあった魚河岸で開業し、関東大震災の影響で魚河岸が築地に移転したため、同時に築地に移転、東京大空襲で店舗が焼失したものの戦後屋台で営業を再開、昭和34年に「築地一号店」を開業しました。
創業店が築地市場にあったという‘感謝の思い’を後世にこのすため、記念の石碑として建立されました。

 奉納辯戈天•魚がし碑は高さ約1m 自然石の碑です。裏に昭和4年11月吉日と彫られていて、御本殿の御祭神に縁の深い弁財天の社殿として現在の末社をご奉納頂いた時の奉納碑です。弁財天へのご信仰の深さを物語るものといえます。
 両碑は共にその時代の魚がしの仲買の屋号の変遷を知ることが出来る貴重な資料と言えます。
波除神社(波除稲荷神社)の歴史
☆おきつね様と奉納 魚がし碑☆
 おきつね様は、いつの頃からか「おきつね様 」とお参りの方々に呼ばれ親しまれています祠で由緒は定かではありません。途絶えることなくどなたかが赤い前掛けを取替えて下さっているそうです。

 奉納 魚がし碑は、高さ約2m 自然石の碑です。裏に大正14年4月吉日と彫られていて、魚がしが現在地に移転してきた時の奉納碑で、当神社も関東大震災で焼失しており仮社殿の御造営に御奉賛頂いた折に建てられたものと思われます。裏に世話人、表に奉賛者名が刻まれています。
波除神社(波除稲荷神社)の像
波除神社様には十二支の石像もあります😊

すてき

御朱印

令和8年 月替り御朱印 1月                 
初穂料 500円
令和8年 月替り御朱印 1月                 
初穂料 500円

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