とびきいなりじんじゃ
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飛木稲荷神社ではいただけません
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飛木稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年03月06日(水)
参拝:2024年2月吉日
押上駅から歩いてくると高木神社様より先に到着するのですが、目的の高木神社様を先にお参りして駅へ戻る時にお参りしました😊
【飛木稲荷神社】
飛木稲荷の名は、御神木の銀杏の木に由来する。
大昔、暴風雨の際に銀杏の枝が飛んできてこの地に刺さり、いつの間にか亭々とそびえたので、時の人が瑞兆であるとして稲荷神社を祀ったとも言われます。別の言い伝えによると鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の一門が逃れてこの地に転住し、稲荷大明神を奉祀したのに始まるとされています。
また、言い伝えに残る飛木稲荷の大イチョウは樹齢500〜600年と言われています。区内では江戸時代から残るイチョウは4本しかなく、その中でも最古の木と言われています。
戦災により黒焦げとなりましたが、再び繁茂して悠久の生命を伝えています。近年、写真集等で紹介されています。
【飛木稲荷神社】
飛木稲荷の名は、御神木の銀杏の木に由来する。
大昔、暴風雨の際に銀杏の枝が飛んできてこの地に刺さり、いつの間にか亭々とそびえたので、時の人が瑞兆であるとして稲荷神社を祀ったとも言われます。別の言い伝えによると鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の一門が逃れてこの地に転住し、稲荷大明神を奉祀したのに始まるとされています。
また、言い伝えに残る飛木稲荷の大イチョウは樹齢500〜600年と言われています。区内では江戸時代から残るイチョウは4本しかなく、その中でも最古の木と言われています。
戦災により黒焦げとなりましたが、再び繁茂して悠久の生命を伝えています。近年、写真集等で紹介されています。
今月の御朱印ではなく本日の御朱印と書いてありました。
☆一之鳥居⛩️と参道☆
一之鳥居は大正5年(1916年)のもので、関東大震災や戦災を免れました。
一之鳥居は大正5年(1916年)のもので、関東大震災や戦災を免れました。
☆お狐様☆
凛々しいお顔です🦊
昭和29年(1954年)に奉納され、戦後の復興を見守ったお狐様。
凛々しいお顔です🦊
昭和29年(1954年)に奉納され、戦後の復興を見守ったお狐様。
☆御神木の大銀杏☆
手水舎の前に立って、御神木を見上げるとお狐様がいらっしゃるそうです🦊
突発でお参りに寄らせていただいた神社様だったので下調べをしておらず、帰宅してから知りました😣💦
おもいっきり違う角度で撮っています
手水舎の前に立って、御神木を見上げるとお狐様がいらっしゃるそうです🦊
突発でお参りに寄らせていただいた神社様だったので下調べをしておらず、帰宅してから知りました😣💦
おもいっきり違う角度で撮っています
こちらかもしれません
☆手水舎☆
手水舎の右側には四拾五貫目と彫られた力石がありました。
手水舎の右側には四拾五貫目と彫られた力石がありました。
☆二之鳥居⛩️☆
昭和62年(1987年)に建立
昭和62年(1987年)に建立
☆御拝殿☆
昭和27年(1952年)に再建
昭和27年(1952年)に再建
【御祭神】
宇迦神霊命
宇迦神霊命
☆御本殿と御拝殿☆
アップで撮り忘れました😣
奉納額の彫刻も素敵でした
アップで撮り忘れました😣
奉納額の彫刻も素敵でした
☆末社•日枝舎☆
日枝神社は、江戸時代の頃から「山王社」として鎮座していた末社。
日枝神社は、江戸時代の頃から「山王社」として鎮座していた末社。
社殿横の彫刻は迫力ありました
☆奥社(狐塚)の入口の鳥居⛩️☆
御本殿の横に鳥居があり、御本殿の裏側に奥社があります😊
御本殿の横に鳥居があり、御本殿の裏側に奥社があります😊
☆奥社(狐塚)の鳥居⛩️☆
☆奥社(狐塚)☆
お狐様が沢山いらっしゃいます🦊
お狐様が沢山いらっしゃいます🦊
山頂には小さい祠
狐塚の下には狐穴
☆奥社のお狐様🦊☆
垂れ目で凄く可愛い〜😍
垂れ目で凄く可愛い〜😍
☆神楽殿☆
本日の御朱印
☆御朱印帳(小粒御朱印帳•大判)☆
大判サイズは御神木とお狐さまを描いた美しい御朱印帳で、金の箔押し仕様。
大判サイズは御神木とお狐さまを描いた美しい御朱印帳で、金の箔押し仕様。
☆授与品☆
御朱印を拝受したときにポストカードを一緒にいただけました😊
すてき
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