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かんえいじ|天台宗東叡山

寛永寺(根本中堂)のお参りの記録一覧
東京都 鶯谷駅

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らんでぃー
らんでぃー
2026年05月30日(土)394投稿

麗らかな春の陽気に誘われ、上野恩賜公園に散歩に出かけました。 ソメイヨシノはまだ満開とはいかないまでも、早咲きの桜がほころび始め、その淡い色を楽しむ花見客で公園は活気に満ちていました。 博物館や美術館、動物園など多くの施設が集まる上野公園ですが、嘗て江戸時代には広大な寛永寺の寺領だったそうです。 寛永2年(1625年)、三代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ)は江戸城の鬼門である丑寅(北東)の方角を鎮める目的で、上野の高台に東叡山寛永寺を建立したと伝えられています。 家光は遺言で、自身の葬儀は寛永寺で執り行い、遺骸は家康の廟がある日光・輪王寺へ移すよう命じました。 この出来事を端緒として寛永寺は将軍家の廟所としての役割を担うようになり、四代家綱(いえつな)、五代綱吉(つなよし)もまた同寺に葬られました。 こうして寛永寺は、増上寺と並ぶ徳川将軍家の菩提寺としての地位を確立していきました。 最初に向かうのは「根本中堂」、最寄り駅は JR 鶯谷駅で、そこから徒歩でアクセスできます。 根本中堂は現在の寛永寺の本堂にあたる建物です。 元々は元禄11年(1698年)に、現在の東京国立博物館前の大噴水付近に建立されたものの、慶応4年(1868年)に勃発した戊辰戦争の局地戦である上野戦争に於いて、 寛永寺本堂に立籠もった旧幕府軍・彰義隊が新政府軍により制圧された際に、堂宇は焼失してしまいます。 その後、明治12年(1879年)に、嘗ての寛永寺の子院であった大慈院の跡地に、川越喜多院の本地堂を移築して再建されたのが、今日に伝わる根本中堂です。 境内には、旧本坊表門(黒門)にあった阿形の鬼瓦や、中央に「葵の御紋」が刻まれた根本中堂の大きな鬼瓦が展示されており、当時の規模の大きさと格式を今に伝えています。

寛永寺(根本中堂)(東京都)

寛永寺/根本中堂・参道入口と寺号標

寛永寺(根本中堂)(東京都)

寛永寺/根本中堂・参道にいた猫

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