かんえいじ
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楽しみ方寛永寺(根本中堂)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月21日(日) 17時13分30秒
参拝:2025年9月吉日
徳川家の菩提寺。山号は東の比叡山ということで。江戸の鬼門を守るためにこの地に創建されました。
周辺は鶯谷駅の高台の端っこになっており、墓地まで含めると境内地はとても広い。しかし創建当時はこんなもんではなく、上野公園や不忍池を含む一帯が境内だったらしく、推定で100万坪(東京ドーム70個分!)の超広大な寺院だったそうです。東の比叡山というだけありますね。
上野公園には神社のほか、大仏や観音堂が残っていますが、それも寛永寺のものだったんですね。
上野東照宮を参拝したら、こっちもいかないと片手落ちでしょ!ということで参拝しました。
周辺は鶯谷駅の高台の端っこになっており、墓地まで含めると境内地はとても広い。しかし創建当時はこんなもんではなく、上野公園や不忍池を含む一帯が境内だったらしく、推定で100万坪(東京ドーム70個分!)の超広大な寺院だったそうです。東の比叡山というだけありますね。
上野公園には神社のほか、大仏や観音堂が残っていますが、それも寛永寺のものだったんですね。
上野東照宮を参拝したら、こっちもいかないと片手落ちでしょ!ということで参拝しました。


朝9時前、門は開いてました。正面の左手奥の門から入ります

正面に回ると、寛永寺の本堂、根本中堂。江戸時代は今の国立博物館のあたりに本堂があったようです。

江戸時代の地図。今よりずっとずっと広大。これをみると東照宮も境内のほんの一部だったことがわかる。境内地は明治になって新政府に大幅に縮小させられました。



卵のような植木


隣は中学校。境内は静かですが、学校からは早朝部活の元気な掛け声が聞こえてくる。



境内の隅にひっそり佇むお地蔵さんと仏像たち。

昔の本坊の表門にあった鬼瓦。今の国立博物館が帝室博物館と呼ばれていた時代の表門が寛永寺のものをそのまま流用したもの。

五色幕がカラフル


葵の御紋がそこかしこにデザインされています。探しながら境内を見て回るのも面白いかも。

屋根がすごく立派
御朱印は10時からだそうで、車で来たため駐車場代が気になるので断念。
御朱印は10時からだそうで、車で来たため駐車場代が気になるので断念。

寛永寺を出て墓地へ続く道。木漏れ日が清々しい



本堂の右には徳川家の霊廟。立入禁止ですが六人の将軍がここに埋葬されています。

墓地の方に歩いていくと道端に立派な門が現れます。4代将軍家綱公の霊廟の門だったもので、勅額門というそうです。先程のは5代将軍綱吉公の勅額門。今は秋のお彼岸の時期なので、お墓参りに来ている人がちらほら。

ひと通り見て戻ってきました。これは寺の北側、谷中霊園の方を向いて撮ったもの。昔ははるか向こうまで寛永寺の領地でした。
すてき
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