天台宗
天王寺のお参りの記録一覧
JR日暮里駅からは、南口改札からいくのがわかりやすいです。北口改札から出る場合は、西口に進めばいけます(初見の日暮里駅は少し難解なので記載しました)。
日暮里駅は山手線を有する都会の駅なのですが、南口から出る場合、陸橋を渡った先に森が見えるので、何とも不思議な感覚を受けます。
東京都台東区谷中にある天台宗の寺院です。鎌倉時代後期に創建され、江戸時代には徳川家光外護のもと隆盛を極めましたが、その後、幾多の変遷を経て現在の姿となりました。
鎌倉時代からの歴史と変遷
創建: 鎌倉時代後期、日蓮宗の寺として創建されました。
江戸時代の隆盛: 徳川家光の外護を受け、将軍家の祈祷所となり、寺域は拡大しました。
宗派の転換: 不受不施派に属していたため、幕府から改宗を命じられ、天台宗に転宗しました。
戊辰戦争と火災: 戊辰戦争では彰義隊の陣となり、本堂などが焼失しました。
昭和の火災: 昭和32年には五重塔が焼失し、現在の姿となりました。
天王寺の見どころ
毘沙門天像: 江戸時代から谷中七福神の一つとして信仰を集めています。
本堂: 奈良の十輪院を模した古風で優美な姿の本堂は、静寂な空間を提供します。
広大な境内: 谷中霊園の一部であり、緑豊かな環境が広がっています。
谷中七福神めぐり
天王寺
毘沙門天(福徳、厄除け)
大仏・釈迦如来坐像
合掌している釈迦如来は珍しいとのこと
かつては谷中にも五重塔があったとのこと
戦火を免れたのに、昭和32年に放火心中事件で焼失
⑤谷中七福神めぐり
平安時代作の毘沙門天さまです!
もともと立派な五重塔もあったそうです。
江戸の三冨として、湯島天神、目黒不動とともに、
富くじも幕府公認で運営されていたそうです。
合掌してるお釈迦さまは珍しいそうです。
かつての五重塔に見立てているのでしょうか。
元日から1月10日までなんですね!
今更知りました。笑
「谷中七福神」の毘沙門天。
お堂の毘沙門天様はちょっと見え辛いのですが、朱印所に写真がありました。なかなか細かい造形の像ですね。実像で確認し辛いのはもったいない。
「天王寺大仏」銅造釈迦如来坐像は見事な丈六銅造像です。
後で気付きましたがこちらは「江戸四十四閻魔」第11番。何処に閻魔さまいらっしゃったのかなぁ?また行かなきゃ。
山門
毘沙門堂
毘沙門天像
比叡山からお迎えした由緒ある平安仏
本堂
天王寺大仏(元禄大仏) 銅造釈迦如来坐像
天王寺大仏 銅造釈迦如来坐像
天王寺大仏 銅造釈迦如来坐像 由緒書き
本堂と大仏
谷中七福神巡り五番目は谷中霊園の中にあります。毘沙門天は伝教大師作とのこと。こちらにはらんまんの牧野富太郎博士のお墓があります。途中から小雨模様で傘がなく困りました。
毘沙門天
毘沙門天堂
毘沙門天
御朱印は奥の建物でいただきます。
大仏様
広い境内
らんまんの牧野富太郎博士のお墓があります。
牧野富太郎博士とスエ子奥様のお墓です。
焼け落ちた五重塔
五重塔跡地
尊敬する牧野富太郎博士のお墓に行こう!と訪れた谷中霊園にて、こちらが牧野富太郎博士の菩提寺であると知った。
紅葉坂。その名が示す通りの紅葉の見所だ。
東京の、山手線駅から徒歩2分。こんな自然溢れる感じでいいのかーー!
と叫びたくなってしまうのであった。
谷中大仏、毘沙門堂と紅葉の紅と相まって見事であった。
そして、ここの看板を見て、何ーーー!と思った事がある。
イヤイヤ。自分の勘違いだったのか。
「雑草という名の草はない」
これは昭和天皇のオリジナルの名言なのだと思っていたのだ。
確か、昔からこの名言は知られていた。え?昭和の時代に聞いたんだろう、って?はい。そうですがな。
だが、しかあし!
この寺で知った事実。牧野富太郎博士の言葉じゃないかあ。
人生は勉強や!そして、行動や!
植物にも命がある。
このことを教えてくださった故人に感謝したい。
天台宗寺院の天王寺は、護国山と号します。本尊は毘沙門天で、もと長燿山感應寺尊重院という日蓮宗寺院として、鎌倉時代に創建され、9ヵ院を擁する本寺でしたが、不受不施派に対する禁令により天台宗に改宗しました。享保年間には富くじ興行が許可されたことで賑い、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほどに賑わっていましたが、上野戦争では、当寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失しました。谷中七福神の毘沙門天が祀られています。
向唐門
毘沙門堂
本堂
上善堂
銅像釈迦如来坐像
法萬霊
境内
境内
五重塔跡案内板
五重塔跡
五重塔跡
五重塔跡
台東区谷中・谷中霊園のすぐそばにある天王寺に参詣。境内には大仏(銅造釈迦如来坐像)もあった。御朱印は書置きのものをいただく。
護国山天王寺〜斬新な山門
銅造釈迦如来坐像
天王寺〜本堂
正式名:護国山尊重院天王寺
東京都台東区谷中にある天台宗の寺院。
もとは長燿山感應寺尊重院という日蓮宗寺院として日蓮上人が開基となり鎌倉時代に創建された。9ヵ院を擁する本寺であったが、不受不施派に対する禁令により天台宗に改宗。
享保年間には富くじ興行が許可されたことにより、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほど賑わっていた。
上野戦争では当寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失した。
現存する毘沙門堂は焼け残った五重塔の下層の木材を再生して昭和36年に建てられた。
毘沙門天像の尊像は戊辰戦争(上野戦争)の際には吉祥天、善膩師童子(ぜんにじどうじ)の脇侍とともに四谷・安禅寺に避難していたため、戦禍を免れて現存している。
また境内には元禄3年(1690)鋳造の釈迦牟尼如来坐像(元禄大仏)がある。
谷中周辺の寺院巡り✨
全生庵を後にして、次に向かうは【天王寺】
御朱印✨
1⃣神社と3⃣寺院を巡らせていただいて、〆に谷中ぎんざでお散歩して本日終了です🤗
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