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大泉寺ではいただけません
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だいせんじ

大泉寺のお参りの記録(1回目)
東京都根津駅

投稿日:2023年01月13日(金)
参拝:2023年1月吉日
🍁瓦屋根を乗せた立派な山門をくぐると、まさにこれぞお寺という風格‼️ ☘️どっしりした本堂が目にはいる🙏
🌼清林山和光院大泉寺(だいせんじ)⛩️ 🔹当寺は、谷中墓地近くの寺町の一角にあります。明治戊辰戦争の折り焼失した山門は、平成3年に再建されました。その山門をくぐると、正面の本堂を中心に、左に客殿、庫裏、右には墓参用休憩所、水屋などが配されています。
🔸慶長16年2月15日、浅草新堀東光院の末寺として神田北寺町に、権大僧都慶賢法印によって創建されました。のち寺地が御用地となったため、慶安元年11月21日現在地に移され今日に至っております。その間幾度となく災禍にあいました。6世豪栄法印の代の元禄16年11月類焼しましたが、幸い7年後の宝永7年秋に客殿が新造されました。また明和9年2月の大火では、土蔵以外すべてを焼失、直ちに客殿・庫裏の再建に着手し、完成を目前に再び延焼の悲運に見舞われました。しかし、伊賀屋宇右衛門が大施主となり、9世良弁法印の代の安永9年に本堂・客殿・庫裏が無事再建されました。その建物も関東大震災により倒壊しましたが、18世信道和尚は苦心の末、昭和6年に本堂、同9年には客殿・庫裏の復興を成し遂げました。戦災も無事くぐり抜け、平成元年以降、山門の再建、本堂・客殿の屋根瓦葺替、客殿の増改築などの復興整備工事が進められ、寺観を一新しました。
🔸寺町谷中は、岡倉天心が日本美術院を旗揚げした地でもありますが、そのきっかけは明治31年の「美校騒動」でした。美校校長の職にあった天心は、怪文書により誹謗中傷の恰好の餌食となり辞任に追い込まれました。天心を慕い、この事件に憤慨した橋本雅邦、高村光雲ら教授34名は、総辞職することを決意し、その声明を発表しましたが、その一大事に集合した場所が、大泉寺でした。当寺は明治の日本美術勃興期の大切な舞台ともなったのです。

場所⛩️ : 東京都台東区谷中6-2-13
大泉寺の山門
大泉寺の御朱印
大泉寺(東京都)
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大泉寺(東京都)
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大泉寺(東京都)

すてき

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