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浅草寺ではいただけません
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せんそうじ

浅草寺のお参りの記録(2回目)
東京都浅草(つくばEXP)駅

投稿日:2024年08月09日(金)
参拝:2024年8月吉日
浅草七福神巡りで訪れましたが、浅草寺だけで著名なご神仏がたくさんおられるので、ここだけでお腹いっぱいになります。
また観光客で溢れているため、いろんな意味で異空間です。

●浅草寺の歴史 – 古都東京の魂

飛鳥時代の仏像発見から、江戸の庶民信仰の中心へ
1400年以上の歴史を持つ浅草寺は、東京の顔とも言える存在です。その起源は、飛鳥時代の隅田川で発見された一体の仏像に遡ります。漁師の兄弟によって持ち帰られたこの仏像は、聖観世音菩薩とされ、人々の心のよりどころとなりました。

●平安時代 – 天台宗の隆盛と発展

平安時代に入ると、天台宗の僧・慈覚大師が浅草寺を訪れ、ご本尊の御前立を刻みました。このことは浅草寺が天台宗の寺院として発展する大きなきっかけとなり、多くの信仰を集めるようになりました。平公雅が七堂伽藍を建立したことで、浅草寺は関東における一大霊場としての地位を確立しました。
鎌倉時代 – 武家政権とのかかわり
鎌倉時代には、源頼朝をはじめとする武家との深い関わりが見られます。頼朝は、浅草寺に戦勝祈願を行い、土地を寄進するなど厚く保護しました。また、浅草寺は坂東三十三観音霊場のひとつに数えられ、巡礼者でにぎわいました。

●室町・戦国時代 – 武将たちの信仰と保護

室町時代には、足利尊氏をはじめとする武将たちが浅草寺を信仰し、寺領を安堵したり、堂塔を再建したりしました。戦国時代には、北条氏綱が浅草寺を祈願所とし、寺はさらに発展しました。
江戸時代 – 庶民の信仰の中心へ
江戸時代になると、徳川家康が浅草寺を祈願所と定め、寺は江戸幕府の庇護のもと大きく発展しました。浅草寺は、江戸の人々にとって信仰の対象であると同時に、庶民の憩いの場でもありました。門前町は賑わい、たくさんの屋台や遊郭が立ち並び、江戸の庶民文化を代表する場所となりました。

●明治以降 – 近代化と新たな役割

明治維新以降、浅草寺は近代化の波に乗りながらも、人々の心のよりどころとしてその役割を果たし続けてきました。第二次世界大戦で被災した後も、多くの人々の力で再建され、現在も多くの人々に親しまれています。
浅草寺(東京都)
浅草寺(東京都)
浅草寺(東京都)
浅草寺(東京都)
浅草寺(東京都)
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すてき

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