うえのだいぶつ|天台宗
上野大佛のお参りの記録一覧

聞いたことはあっても見たことがなく、国立科学博物館から不忍池に向かう途中で幟を見つけたので寄ってみました。大仏さまのお顔をこんなに近くで見たのは初めてでありがたい気持ちになりました。

落ちない大仏ということでお礼参りに参拝させていただきました。
無事、桜咲き息子のあのうれし涙は本当に一生の思い出の一つとなりました(*^^*)
また、パゴダ薬師堂は心の身体の健康祈願ということで今の私にはありがたかったぁ。。。
少々仕事で身体に影響が出始めてしまったため一礼してからゆっくりと一周回り正面で一礼
真言は途中わからなくなってしまいましたが気持ちだけはということでできる範囲で健康祈願をさせていただきました。
2回目ということもあり今回は上野大仏とパゴダ薬師堂の御朱印両方をいただくことができました。
曜日が金・土・日で昼休憩後でしたのでタイミングもよくいただくことができ嬉しかったです。
豪快な字体がとても迫力あり魅力的な御朱印でした。

上野大仏は、東京都台東区の上野恩賜公園内に位置し、その顔だけが現存しています。この大仏は、薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔とともに、上野精養軒の隣の大仏山という丘の上にあります。
●歴史的背景
上野大仏は寛永8年(1631年)に越後村上藩主の堀直寄によって建立されました。最初の像は漆喰で作られた釈迦如来坐像で、当時は露座であったことが『江戸図屏風』にも描かれています。しかし、歴史的に多くの災害に見舞われました。
正保4年(1647年):正保相模地震により大仏が倒壊。
慶安2年(1649年):頭部が落下。
万治年間(1658年 - 1661年):遊行僧の浄雲によって金銅像として再興。高さ約6.6メートルの青銅製の大仏が再建されました。
その後も火災や地震に見舞われ、特に天保12年(1841年)には大仏殿から出火し、頭部が溶け落ちました。安政2年(1855年)には再び修復されましたが、明治8年(1875年)に上野恩賜公園の整備に際して大仏殿が撤去され、露座に戻りました。
●関東大震災とその後
1923年の関東大震災では、頭部が落下し、大きな損傷を受けました。震災後、胴体は寛永寺に保管されましたが、第二次世界大戦中の金属供出令により、顔面部を除いて持ち去られてしまいました。このため、現在残るのは大仏の顔だけです。
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