かんえいじしのばずのいけべんてんどう|天台宗|東叡山
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楽しみ方寛永寺不忍池弁天堂のお参りの記録一覧
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【辯才天みくじ:不忍池辯天堂】
上野不忍池の中央にある弁天島。
不忍池辯天堂の前には弁財天が持つ琵琶を模してつくられた「琵琶の碑」が立っていました。
本堂でお参り後、おみくじ処に行き「辯才天みくじ」をゲット。
高さ4cm程、可愛らしい表情をした弁天様の張り子(おみくじ付き)
さすが外国人が多く訪れる上野。
おみくじもインバウンド用に英語、中国語、韓国語で書かれていました。
英語で「大吉」って何と書いてあるのだろう?
VERY HAPPY?それともBIG LUCKY?
調べてみたら「excellent luck」が正解でした。
※詳しくはブログ「郷土玩具の杜」をご覧ください。
https://folktoys.blog.fc2.com/blog-entry-482.html
入手日:2014年1月16日
掲載されている内容は当時のものです、情報が古い場合がありますのでご了承下さい。


上野東照宮様へお参りした後にこちらもお参りに行きました😊
ライトアップされてるからでしょうか?
平日にもかかわらず沢山の参拝者がいらっしゃいました🙏🏻
【不忍池弁天堂の歴史】
不忍池辯天堂は、江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536年~1643年)によって建立されました。
天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していきました。これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味します。例えば「寛永寺」というお寺の名称は、「寛永」年間に創建されたことからついたのですが、これは「延暦」年間に創建された天台宗総本山の「延暦寺」というお寺を見立てたものです。
こうして天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守(みずのやいせのかみ)勝隆公と相談して島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てたお堂を建立したのです。
琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であったため、当初はお堂に参詣するにも船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。
昭和20年の空襲で一帯は焼けてしまいましたが、お堂は昭和33年(1958年)に復興し、また昭和41年(1966年)には芸術院会員であった児玉希望(こだまきぼう)画伯による龍の天井絵が奉納されました。


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