はくさんじんじゃ
白山神社東京都 荻窪駅
【参拝】 午前6時(開門)〜午後5時(閉門)
【社務所】 午前10時〜午後4時 休憩時間あり
【東京編 ③】
馬橋稲荷神社様から電車で一駅お隣りにある荻窪白山神社様へこちらも1年ぶりのお参り🙏🏻
なごみ猫様に癒されました😺
【荻窪白山神社】
旧下荻窪村の鎮守様で、御祭神は伊邪那美尊です。文明年間(1469年~1486年)に、関東菅領•上杉顕定の家臣•中田加賀守が加賀(石川県)の白山比咩神社より分神を勧請してこの地にお祀りしたのが始まりということです。
上杉顕定の落居の後、中田加賀守は野に下り百姓となって名を大学と改めました。常に敬神の念が厚く、邸内に5社を勧請して崇め祀っていました。これが白山神社の縁起で江戸時代頃まで五社権現と呼ばれていました。
大学の弟、兵庫が常に歯痛に悩まされていると、ある晩枕もとに神託があり、「社前に生える萩を以て箸を作り、これにて食事をすれば歯痛すなわち癒えん」と…。兵庫はお告げ通りに萩の箸を作り食事を摂ると、歯痛が直ちに治ったと言われます。
この噂が村人に伝え拡がり、遠近から多くの歯痛に悩む者が参拝するようになり、現在に至っていると言われます。
その後、祈願成就には萩の箸をお礼として納める習わしが、いつの間にか生まれたと伝えられています。
荻窪はこの頃「はぎくぼ」とも言われ、境内には多くの萩の木が繁殖していましたが、現在はわずかに1株のみとなっています。
昭和42年に社殿を改築の折、社殿の長押から多数の萩の箸が出てきて氏子の方々や多くの関係者を驚かせたそうです。歯痛の悩みを癒してくれると篤い信仰を得ていたことを立証したのではないでしょうか。
現在では「赤ちゃんのお宮参り」に参拝した折には、男児には白い箸を、女児には赤い箸が授与されるということです😊
通年御朱印
月替り御朱印 1月
『歯病消除』御朱印
☆社号碑と鳥居⛩️☆
☆鳥居⛩️☆
☆手水舎☆
☆狛犬様☆
☆御拝殿☆
【御祭神】伊邪那美尊
☆神楽殿☆
【屋根の十二支と猫の石像】
昭和42年に老朽化と環状八号線の拡張工事のおりに社殿と社務所の建て替えを行いました。
当時の瓦屋さんの手により、社務所の四方を守護するように十二支の瓦が奉納、設置され神社の方位を守護する十二支の姿として見られるようになりました。
十二支を決める話は諸説ありますが、一般的には猫はネズミに十二支を決める日を誤って伝えられ寝過ごしてしまい、十二支に入る事ができなかったと言われています。
そんなお話を知った神主様が「仲間はずれになるのは可哀想」と、のんびりと眠る猫の石像を境内に置き仲間に入れてあげました。
2011年の東日本大震災で社務所の瓦は全て落ち、十二支の瓦も破損してしまいました。
しかし、地面に近い位置に居た石の猫は何事も無かったように残りました。
石の猫は何事も無かったようにのんびりとお昼寝をしている姿を参拝者に見せ、震災で心を痛めた人達の心を大いに癒やし、和ませました。
参拝に訪れる方々の心を少しでも和ませ、癒やしになればと、それから一つずつ石の猫は増えていきました。今では境内のあちこちに石の猫が見かけられるようになり、参拝者の方を和ませています😺
☆境内末社 一の鳥居⛩️☆
中田加賀守の屋敷から遷された『正一位稲荷神社』をはじめ、下荻窪村の祈りの祠であった『田守稲荷神社』、昭和の時代に荻窪の地域の人に懇願され観請した『三峯神社』の三社が、境内末社としてお祀りされています。
現在の境内末社は平成16年に場所を遷し、新しい社になっています。
☆境内末社の狛犬様☆
☆境内末社二の鳥居⛩️☆
☆境内末社•正一位稲荷神社☆
☆境内末社•田守稲荷神社☆
前回は居なかったタヌキさんがいました🦝
☆境内末社•三峯神社☆
灯籠のなかにも😄
☆狛犬様☆
後ろ姿が可愛い😆
☆狐霊保安庫☆
氏子の方々からお預かりしたお稲荷様をお祀りしています。
☆神輿庫☆
荻窪の白山神社を参拝しました。
中野から荻窪に移動、駅から5分で着くはずがたまーにやってくれるGoogleマップ。雨の中倍以上かかってやっと到着しました。
こちらの参拝の目的は御朱印帳。以前タイムラインで見かけて、次の御朱印帳は絶対にこれにしたい! と思っていたのです。猫好きにはたまらない表紙でしかも大判サイズ。
また、お書き入れは御朱印帳購入と同時のみ、ということもありまして。
ピンクとグリーン、どちらも可愛くて迷ったんですが、迷った時は推しのメンバーカラー、ということでピンクにしました。
周辺は商店街ですが、長めの参道のおかげで近くの雑然とした雰囲気と一線を画し、清々しい空気となっていました。
また、御朱印対応していただいた方が非常に丁寧な方で和みました。
御朱印帳を購入したので、お書き入れいただけました。
可愛い🩷
この神社は旧下荻窪村の鎮守で、祭神は伊邪那美命です。
下荻窪村が中世に村をつくっていたことは、宝徳三年(1451)の上杉家文書や、昭和五十四年に荻窪三丁目三十三番から宝徳前後の年号をもつ板碑が発見されていることからも知られます。
当社の起源は、社伝によると文明年間(1469-1486)関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現を奉斎したのにはじまり、後に中田一族が栄え、ここに社殿を建てたといわれます。
当社はかつて歯の神様として知られていました。伝えられるところによると中田加賀守の弟兵庫が、激しい歯痛に悩んでいたある夜、御神託により境内の萩を箸として食事をすると不思議に歯の痛みが止ったという。この事情を聞いた近隣の人々は、歯痛もなおる神様として信仰厚く参拝者も多くなったといわれます。
その萩もかつては境内に多く繁っていましたが、今では社殿北側の老松の根元に一株残っているだけになりました。昭和四十三年の社殿改築の折には、古い社殿の長押から納められた萩の箸が、たくさん出てきたといいます。
社屋や数多い奉納品の中、昭和三年に奉納された神輿は百五十貫余(約563kg)もあり、また大太鼓(直径149cm)は、府中の大国魂神社の太鼓につぐ都内第二の大きさであるといわれます。
昭和四十二年環状八号線拡張にともなって本殿、拝殿、社務所、玉垣などの増・改・修築や多くの奉納がなされ、今日の姿を見るに至りました。
祭日は九月八日です。
名称 | 白山神社 |
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読み方 | はくさんじんじゃ |
通称 | 荻窪白山神社 |
参拝時間 | 【参拝】 午前6時(開門)〜午後5時(閉門)
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トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 03-3398-0517 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
おみくじ | あり |
ご祭神 | 《主》伊邪那美命 |
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ご由緒 | この神社は旧下荻窪村の鎮守で、祭神は伊邪那美命です。
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体験 | おみくじ絵馬御朱印お守り |
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