めぐろふじせんげんじんじゃ
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楽しみ方目黒富士浅間神社のお参りの記録一覧

江戸時代に富士山信仰が盛んになり、全国各地に富士塚を作り浅間神社が祀られた。
歌川広重の絵でも有名な「目黒元富士」は、明治11年に上目黒一丁目の目切坂上から現在の上目黒氷川神社境内へ末社として移された。
「元富士」は文化9年(1812)に「丸旦講」とよばれる富士講の人々が築山したもので、当時のままの石碑には講のマークであった「旦」の文字が刻まれているのを確認できる。
厳密には富士塚ではないが、移された時代には境内からも富士山を眺めることができたため「より富士登山の気持ちで参拝できるように」と昭和50年頃に自然の崖を利用した登山道が造られ、毎年7月には山開き神事と目黒富士浅間神社例大祭を斎行している。






































目黒氷川神社の末社ですが別れて投稿されているようなのでこちらに投稿します。
桜の季節限定の御朱印があると聞いて伺ってきました😊
江戸時代に富士山を対象とした民間信仰が広まる中、富士講という団体が各地で作られ、富士講の人々は富士山に登るほかに身近なところに小型の富士山(富士塚)を築き、これに登って山頂の石祠を拝みました。
目黒区内には二つの富士塚がありました。一つは文化9年(1812)に目切坂上(上目黒1-8)に築かれたもので「元富士」と予備、後に別所坂上(中目黒2-1)に築かれたもう一つの富士塚を「新富士」と呼びました。元富士は高さ12mで、石祠(浅間神社)を祀っていましたが、明治11年(1878)に取り壊しとなり、この氷川神社の境内に石祠や富士講の石碑を移しました。
昭和52年(1977)7月に富士山に見立てた登山道を開き、境内の一角を「目黒富士」と呼ぶようになりました。7月1日には山開きの例祭が行われています







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