うんぺんじ
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楽しみ方雲辺寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月08日(月) 06時04分03秒
参拝:2026年6月吉日
所在地:徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2
宗 派:真言宗御室派
寺 格:
本 尊:千手観世音菩薩(経尋作)
建 立:789年(延暦8年)
由緒
寺伝によれば、789年(延暦8年)に佐伯真魚(後の空海・弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、この地を霊山と感得し堂宇を建立したことを起源とする。空海はまた、807年(大同2年)には秘密灌頂の修法を行い、さらに818年(弘仁9年)に嵯峨天皇の勅命を受けて本尊を刻んで、七仏供養を行ったという。後に「四国高野」と呼ばれ、僧侶の修行道場となり、貞観年間(857年から877年)には清和天皇の勅願寺ともなった。
1098年(承徳2年)火災で全山焼失するも、その後に鹿を追って当地に入った猟師の与成(よなり)は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれ発心し堂宇の再建を果たした。 平安末期の中興の祖と云われるにふさわしい願西上人が住職のとき、現存する本尊千手観音と毘沙門天が造られた。 鎌倉時代には、阿波守護の佐々木経高(経蓮)の庇護を受け、七堂伽藍が整えられた。 1311年(応長元年)には、京都西園寺家により寺領が寄進される。 1363年(貞治2年)には足利氏より法華経真読を依頼される。
1577年(天正5年)に土佐を統一し、四国制覇を狙う土佐の戦国大名・長宗我部元親が雲辺寺を訪れ、住職の俊崇坊に四国統一の夢を語ったという。
1987年(昭和62年)に香川県観音寺市側の山麓と雲辺寺ロープウェイによって結ばれ、訪れやすい寺となった。
(Wikipediaより)
宗 派:真言宗御室派
寺 格:
本 尊:千手観世音菩薩(経尋作)
建 立:789年(延暦8年)
由緒
寺伝によれば、789年(延暦8年)に佐伯真魚(後の空海・弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、この地を霊山と感得し堂宇を建立したことを起源とする。空海はまた、807年(大同2年)には秘密灌頂の修法を行い、さらに818年(弘仁9年)に嵯峨天皇の勅命を受けて本尊を刻んで、七仏供養を行ったという。後に「四国高野」と呼ばれ、僧侶の修行道場となり、貞観年間(857年から877年)には清和天皇の勅願寺ともなった。
1098年(承徳2年)火災で全山焼失するも、その後に鹿を追って当地に入った猟師の与成(よなり)は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれ発心し堂宇の再建を果たした。 平安末期の中興の祖と云われるにふさわしい願西上人が住職のとき、現存する本尊千手観音と毘沙門天が造られた。 鎌倉時代には、阿波守護の佐々木経高(経蓮)の庇護を受け、七堂伽藍が整えられた。 1311年(応長元年)には、京都西園寺家により寺領が寄進される。 1363年(貞治2年)には足利氏より法華経真読を依頼される。
1577年(天正5年)に土佐を統一し、四国制覇を狙う土佐の戦国大名・長宗我部元親が雲辺寺を訪れ、住職の俊崇坊に四国統一の夢を語ったという。
1987年(昭和62年)に香川県観音寺市側の山麓と雲辺寺ロープウェイによって結ばれ、訪れやすい寺となった。
(Wikipediaより)
すてき
投稿者のプロフィール
Kou1220投稿
2011年東日本大震災を切っ掛けに寺社参拝を始めました。これまで1000余の寺社を参拝させていただき、拝受した御朱印も気付けば1500枚超。日本史にも関心があり、寺社参拝がライフワークの一部にな...もっと読む
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