じぞうじ|真言宗御室派|無尽山(むじんざん)
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真言宗御室派 無尽山 荘厳院 地蔵寺
四国八十八箇所霊場 第5番札所
阿波西国三十三観音霊場 第24番札所
地蔵寺の由来を見てみると、弘仁12年(821年)弘法大師が約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ、それを本尊として安置し開創したのが始まりと伝えられているそうです。
この勝軍地蔵菩薩は、浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、胎内に納められたとのこと。
山門(仁王門)には怖い顔をした仁王像、ではなくて持国天さんと多聞天さんがいらっしゃいます。
色鮮やかな二天像だなと思いつつ、本堂へ。
本堂内をふと見上げるとこちらも色鮮やかな部分がありました。
さらに大師堂の彫刻部分もカラフルで、そういった部分も見どころでした。

憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
道には詳しくないので 札所の番号順にしました。
四国八十八カ所霊場巡り 5番札所のお寺です。
山号は無尽山
院号は荘厳院
宗旨宗派は真言宗御室派
ご本尊は地蔵菩薩(延命地蔵)、胎内仏・地蔵菩薩(勝軍地蔵)
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:六道(ろくどう)の能化(のうげ)の地蔵大菩薩 導(みちび)き給えこの世後(のち)の世
でした。
いやぁ本当に素晴らしい。どの札所も見事なお寺ばかりです。
まずは仁王門 金剛力士ではなく 色のついた多聞天と持国天です。
しかも 阿吽が左右逆になっているのです。
仁王門をくぐると 目の前に大きな銀杏の木があります。
樹齢が約800年だそうで 銀杏も長生きなことを初めて知りました。
地蔵寺の本堂は国の有形文化財に指定されています。
本堂は右側に不動堂とえびす堂が合体している造りになっていて 回廊でつながっていました。
残念ながら工事中で 美しい外観を見ることができず 写真も足場が映り込んでしまいます。
大師堂はとても彩色が美しく 大銀杏の緑との相乗効果で とても映えます。
大師堂の右隣には「淡島(あわしま)堂」があります。
こちらは和歌山県の淡島神社の分身で万病封じの守護神といわれ 喘息退散の御利益があります。
由緒については
寺伝によれば弘仁12年(821年) 嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が一寸8分(約5.5 cm)の甲冑を身にまとい馬にまたがる姿をしていると云われる勝軍地蔵菩薩を自ら刻み 本尊として開創したと伝えられる。
嵯峨・淳和・仁明の3代の天皇の帰依が篤かった。
宇多天皇の頃 紀州熊野権現の導師であった浄函上人が 熊野権現の託宣によって霊木に2尺7寸(約80 cm)の延命地蔵菩薩を刻み 前述の勝軍地蔵菩薩を胎内に納めたという。
本尊が勝軍地蔵というところから源義経などの武将の信仰も厚くかった。
当時は伽藍の規模も壮大で26の塔頭と 阿波・讃岐・伊予の3国で300あまりの末寺を持ったという。
しかし 天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失。
江戸時代 徳島藩主蜂須賀氏の庇護を受け 歴代住職や信者の尽力により再興された。
とありました。


【無尽山(むじんざん)荘厳院(しょうごんいん)地蔵寺(じぞうじ)】
本尊:延命地蔵・勝軍地蔵菩薩(胎内仏)
宗派:真言宗御室派
開基:弘法大師
地蔵寺は、821(弘仁12)年、第52代 嵯峨天皇(在位809-823)の勅願で弘法大師(774-835)が開き、大師自ら約5.5cmの勝軍(しょうぐん)地蔵菩薩を彫って本尊に安置したとされる。その後、紀州熊野権現導師の浄函(じょうかん)上人が延命地蔵尊を刻み、その胎内に大師の勝軍地蔵菩薩を納めたという。多くの武将の信仰を集め繁栄したが、長宗我部元親の兵火により焼失、その後再建された。
この寺は「羅漢(らかん)さん」と呼び親しまれており、奥之院に「五百羅漢」がある。羅漢とは最高位の修行僧の意で、1775(安永4)年に500体の羅漢を納めて創建(現在のものは大正の焼失後に再建)され、さまざまな表情の羅漢像が並んでいる。

【05_T.Hamada's view】
大師堂と大銀杏(たらちね銀杏)

【05_たらちね銀杏】
数々の戦火を免れ今も残る樹齢約800年の「たらちね銀杏」は、秋に鮮やかな彩りを添える寺のシンボル。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)


【四国八十八ヶ所札所巡り⑤】
地蔵寺(じぞうじ)は、徳島県板野郡板野町羅漢字林東にある真言宗御室派の寺院。山号は無尽山(むじんざん)、院号は荘巌院(しょうごんいん)。本尊は勝軍地蔵菩薩。四国八十八ヶ所5番札所。
寺伝によると、平安時代の821年に嵯峨天皇(在位809年~823年)の勅願により弘法大師が開創した。大師は自ら約5.5㎝の勝軍地蔵菩薩を彫像し本尊に安置したと伝わる。その後、淳和天皇(在位823年~833年)、仁明天皇(在位833年~850年)の3代にわたり天皇家が篤く帰依した。のち紀州熊野権現の導師・浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納めたと伝わる。
この勝軍地蔵菩薩信仰は広がりをみせ、源頼朝、源義経、蜂須賀家などの武将たちが篤く信仰して多くの寄進をし、寺領は阿波、讃岐、伊予の3か国に及び、塔頭26寺、末寺300寺を数えた。しかし、戦国時代の天正年間(1573年~1592年)の長宗我部元親の兵火で堂塔は悉く灰燼に帰した。その後僧侶、信者の尽力で堂宇が整備拡充され、現在でも寺領は40,000㎡におよんでいる。
当寺は、JR高徳線・板野駅の西南西3.0km、道のり3.7kmの平地にある。4番札所の大日寺からは道のり1.7km。境内はかなり広いようで、境内南側だけでも本堂、大師堂、庫裏などの大きな建物が集まっていて十分広いが、北側にも時間がなくて見逃した奥の院・五百羅漢がある。
今回は、四国八十八ヶ所札所であることから参拝した。参拝時は休日の夕方で遅い時間であったこともあり、自分たち以外には参拝者は見掛けなかった。
※四国八十八ヶ所札所の札所開所時間は基本は17時まで。今回参拝時は17時を廻っていたが、納経所は開いていて、快く御朱印をお書きいただけた。感謝感謝。
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