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地蔵寺ではいただけません
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じぞうじ|真言宗御室派無尽山(むじんざん)

地蔵寺
徳島県 板野駅

御朱印について
御朱印
あり

真ん中に梵字と地蔵尊、左下に地蔵寺と書かれ、右上に四国第五番の印、真ん中に梵字の印、左下に無盡荘厳の印が押されています。

限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

仁王門手前 普通50台 マイクロ20台 大型10台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第5番

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2023年11月08日(水)
1600投稿

憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
道には詳しくないので 札所の番号順にしました。
四国八十八カ所霊場巡り 5番札所のお寺です。
山号は無尽山
院号は荘厳院
宗旨宗派は真言宗御室派
ご本尊は地蔵菩薩(延命地蔵)、胎内仏・地蔵菩薩(勝軍地蔵)
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:六道(ろくどう)の能化(のうげ)の地蔵大菩薩 導(みちび)き給えこの世後(のち)の世
でした。
いやぁ本当に素晴らしい。どの札所も見事なお寺ばかりです。
まずは仁王門 金剛力士ではなく 色のついた多聞天と持国天です。
しかも 阿吽が左右逆になっているのです。
仁王門をくぐると 目の前に大きな銀杏の木があります。
樹齢が約800年だそうで 銀杏も長生きなことを初めて知りました。
地蔵寺の本堂は国の有形文化財に指定されています。
本堂は右側に不動堂とえびす堂が合体している造りになっていて 回廊でつながっていました。
残念ながら工事中で 美しい外観を見ることができず 写真も足場が映り込んでしまいます。
大師堂はとても彩色が美しく 大銀杏の緑との相乗効果で とても映えます。
大師堂の右隣には「淡島(あわしま)堂」があります。
こちらは和歌山県の淡島神社の分身で万病封じの守護神といわれ 喘息退散の御利益があります。

由緒については
寺伝によれば弘仁12年(821年) 嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が一寸8分(約5.5 cm)の甲冑を身にまとい馬にまたがる姿をしていると云われる勝軍地蔵菩薩を自ら刻み 本尊として開創したと伝えられる。
嵯峨・淳和・仁明の3代の天皇の帰依が篤かった。
宇多天皇の頃 紀州熊野権現の導師であった浄函上人が 熊野権現の託宣によって霊木に2尺7寸(約80 cm)の延命地蔵菩薩を刻み 前述の勝軍地蔵菩薩を胎内に納めたという。
本尊が勝軍地蔵というところから源義経などの武将の信仰も厚くかった。
当時は伽藍の規模も壮大で26の塔頭と 阿波・讃岐・伊予の3国で300あまりの末寺を持ったという。
しかし 天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失。
江戸時代 徳島藩主蜂須賀氏の庇護を受け 歴代住職や信者の尽力により再興された。
とありました。

地蔵寺の山門

仁王門

地蔵寺(徳島県)

多聞天 吽

地蔵寺(徳島県)

持国天 阿

地蔵寺(徳島県)

大師修行像

地蔵寺(徳島県)

鐘楼

地蔵寺(徳島県)

淡路堂

地蔵寺(徳島県)

大師堂

地蔵寺(徳島県)
地蔵寺(徳島県)

大銀杏

地蔵寺の建物その他

庫裡かな?

地蔵寺(徳島県)

水琴窟

地蔵寺(徳島県)

本堂なのですが。。

地蔵寺(徳島県)

本堂

地蔵寺(徳島県)

水子地蔵

地蔵寺(徳島県)

八角堂

地蔵寺(徳島県)

不動堂なのですが。。

地蔵寺(徳島県)

大師様の碑

地蔵寺(徳島県)

かわいらしいお地蔵様?に見送られ

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惣一郎
惣一郎
2023年06月01日(木)
1269投稿

【四国八十八ヶ所札所巡り⑤】

地蔵寺(じぞうじ)は、徳島県板野郡板野町羅漢字林東にある真言宗御室派の寺院。山号は無尽山(むじんざん)、院号は荘巌院(しょうごんいん)。本尊は勝軍地蔵菩薩。四国八十八ヶ所5番札所。

寺伝によると、平安時代の821年に嵯峨天皇(在位809年~823年)の勅願により弘法大師が開創した。大師は自ら約5.5㎝の勝軍地蔵菩薩を彫像し本尊に安置したと伝わる。その後、淳和天皇(在位823年~833年)、仁明天皇(在位833年~850年)の3代にわたり天皇家が篤く帰依した。のち紀州熊野権現の導師・浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納めたと伝わる。
この勝軍地蔵菩薩信仰は広がりをみせ、源頼朝、源義経、蜂須賀家などの武将たちが篤く信仰して多くの寄進をし、寺領は阿波、讃岐、伊予の3か国に及び、塔頭26寺、末寺300寺を数えた。しかし、戦国時代の天正年間(1573年~1592年)の長宗我部元親の兵火で堂塔は悉く灰燼に帰した。その後僧侶、信者の尽力で堂宇が整備拡充され、現在でも寺領は40,000㎡におよんでいる。

当寺は、JR高徳線・板野駅の西南西3.0km、道のり3.7kmの平地にある。4番札所の大日寺からは道のり1.7km。境内はかなり広いようで、境内南側だけでも本堂、大師堂、庫裏などの大きな建物が集まっていて十分広いが、北側にも時間がなくて見逃した奥の院・五百羅漢がある。

今回は、四国八十八ヶ所札所であることから参拝した。参拝時は休日の夕方で遅い時間であったこともあり、自分たち以外には参拝者は見掛けなかった。

※四国八十八ヶ所札所の札所開所時間は基本は17時まで。今回参拝時は17時を廻っていたが、納経所は開いていて、快く御朱印をお書きいただけた。感謝感謝。

地蔵寺(徳島県)

境内南端入口の<仁王門>。この南側には大きな駐車場がある。

地蔵寺(徳島県)

左側の<阿形仁王像>。カラフルで、足で鬼を踏みつけている造形。

地蔵寺(徳島県)

右側の<吽形仁王像>。筋骨隆々型ではなく、つるんとしたアニメチック型。

地蔵寺(徳島県)

仁王門をくぐって境内に入る。山号は「無尽山」だけど、扁額は「善霊山」?(。´・ω・)?

地蔵寺(徳島県)

仁王門をくぐって境内中央で左を向くと、突き当りにある<本堂>。地蔵菩薩を安置。

地蔵寺(徳島県)

本堂手前左側にある<水屋>。

地蔵寺(徳島県)

<本堂>正面。

地蔵寺(徳島県)

本堂から振り返って境内全景。反対側に見えるのは<大師堂>。

地蔵寺(徳島県)

本堂の右隣にある<八角堂>。ここから伽藍を時計回りに見て廻る。

地蔵寺の建物その他

八角堂の後方にある<方丈>。

地蔵寺(徳島県)

仁王門をくぐって突き当りにある、方丈の<大玄関>。

地蔵寺(徳島県)

大玄関の右側にある<納経所>。御朱印はこちら。

地蔵寺(徳島県)

仁王門をくぐって境内中央で右を向くと、突き当りにある<大師堂>。

地蔵寺(徳島県)

<大師堂>正面。

地蔵寺(徳島県)

大師堂の正面には、カラフルな彫刻が刻まれている。

地蔵寺(徳島県)

大師堂から振り返って境内全景。

地蔵寺(徳島県)

大師堂の右隣にある<淡島堂>。表札には「万病封じ へちま加持受付」とある。

地蔵寺(徳島県)

淡島堂の右手にある<鐘楼堂>。

地蔵寺の像

鐘楼堂の近くにある<弘法大師像>。

地蔵寺(徳島県)

最後に、仁王門近くの<白梅>。2月下旬でしっかりほころんでいる。(^▽^)/

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地蔵寺の基本情報

住所徳島県板野郡板野町羅漢林東5
行き方

徳島バス鍛冶屋原線・石井上板線「羅漢」下車 (0.3km)
4【大日寺】より
(自家用車)約10分 約2km
(徒歩)約25分 約2km
6【安楽寺】より
(自家用車)約15分 約5km
(徒歩)約1時間15分 約5.3km

アクセスを詳しく見る
名称地蔵寺
読み方じぞうじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ納経所の右側
御朱印あり

真ん中に梵字と地蔵尊、左下に地蔵寺と書かれ、右上に四国第五番の印、真ん中に梵字の印、左下に無盡荘厳の印が押されています。

限定御朱印なし
電話番号088-672-4111
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

阿波西国三十三観音霊場

第24番

御詠歌:

ただ頼め 大悲の徳の 無尽山 心に適う ままの誓ひを

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊延命地蔵 胎内仏・勝軍地蔵菩薩
山号無尽山(むじんざん)
院号荘厳院(しょうごんいん)
宗旨・宗派真言宗御室派
創建時代弘仁12年(821)
開山・開基弘法大師
文化財

阿波遍路道 地蔵寺境内(国の史跡)
本堂、不動堂、大師堂、経蔵、五百羅漢堂(奥の院)(国の登録有形文化財)
「地蔵寺」(板野町指定史跡)

ご由緒

嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、弘仁12年弘法大師が開創された。大師は、自ら約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ、本尊に安置したと伝えられる。その後、淳和天皇(在位823〜33)、仁明天皇(在位833〜50)の3代にわたり天皇家が篤く帰き依えされた。さらに紀州・熊野権現の導師を務めていた浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられている。この勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしている。これらの寄進により寺領は拡大し、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国におよそ300を数える末寺ができ、塔頭も26寺にのぼったと伝えられる。

しかし、天正年間(1573〜92)の長宗我部元親による兵火で、これらの堂塔はことごとく灰燼に帰した。その後、歴代の住職や僧侶、信者たちの尽力により堂宇が整備拡充され、いまでも寺領は40,000平方メートル(12,000坪)にもおよぶ古刹である。本堂左の参道をとおり、石段をのぼったところが奥の院で、ここが羅漢堂である。安永4年(1775)の創建で、五百羅漢堂とされていた。だが、大正4年参拝者の失火で罹災、いまは200ほどの等身大羅漢像がさまざまな喜怒哀楽の表情で並んでいる。境内の大銀杏。樹齢は800年を超え、母なる大木につつまれ歴史が刻まれている。

体験御朱印札所・七福神巡り

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