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温泉山 安楽寺(四国霊場第六番札所)の日常(9回目)徳島県牛島駅

四国八十八ヶ所を何度も巡礼された禅の名僧

投稿日:2021年04月16日(金)
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四国八十八ヶ所を何度も巡礼された禅の名僧 山本玄峰師
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前回の話の続きです。なぜ禅宗の僧侶の方々が四国八十八ヶ所を巡礼されるのか?(この投稿の1週間前にも曹洞宗のお寺の住職さんが檀家さんを連れて安楽寺にお泊まりくださいました。)
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慶応2年(1866)の寒い日。和歌山県本宮町 湯の峰温泉で1人の赤子が産み捨てられた。貧しいから育てられぬと親は床下に放置。桶をかぶせた。赤子は寒さで死ぬはずだったが温泉の地熱があった。噂をききつけた人がその子を欲しがり桶をのけると虫の息。焼酎を口に含んで吹きかけると息を吹き返した。
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赤子はその地で子どものいなかった岡本善蔵夫婦にもらわれることになり「芳吉」と言う名前をつけ、厳しいが我が子として温情をかけて育てられた。
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子どもができなかった岡本夫婦であったが芳吉が7歳になった時に喜蔵が、その3年後に寛蔵が生まれた。しかし、岡本善蔵氏は血がつながっている、いないにかかわらず、あくまで芳吉を跡取りとして扱った。厳格な義父に対して義母(とみえ)はひたすらに優しい人であった。芳吉(玄峰師)が後に成人して「母」という言葉を口にしただけでも涙ぐんでしまうような人であった。
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芳吉は結婚をし、岡本家の財産も譲り受けた、さあこれからという時に視力が衰えはじめる眼病。様々な名医を訪ねつくし、足かけ3年の入院、手術もしたが良くなるどころかどんどん衰える一方であった。そして失明の宣告を受けた。家を継いで日も浅く「自分はなんの役にも立たず無駄飯を食っている。」その思いが芳吉を責めさいなんだ。
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明治20年のある日、病院を抜け出して、死に場所を求めて向かったのは華厳の滝。しかし、どうしても滝から身をなげることはできなかった。廃人のようになった芳吉の放浪の旅がはじまった。足尾銅山、越後、出雲崎、やがて芳吉は四国八十八ヶ所を巡礼することを思いたつ。(今も昔も四国遍路は悩み苦しむ人々の最後の救いのとりでなのである。)
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芳吉は故郷の岡本家に帰り、相続した全財産を弟の喜蔵(17歳)に譲り、妻と離婚して、四国遍路に旅立った。目のほとんど見えない体で眼病平癒のために裸足で四国八十八ヶ所を七回巡るという願をかけての旅立ちであった。当時、四国遍路1280kmの道は徒歩で60日、目の見えない芳吉の裸足での遍路はもっと日数がかかったことだろう。
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しかし難行苦行をしても仏の加護はなかなか得られなかった。六巡しても目は見えるようにはならず、七巡目が終わっても目が見えなかったら…
七巡目、四国十二番札所焼山寺のお参りを終えた芳吉は焼山寺の通夜堂に泊まることにした。(通夜堂はお寺のお慈悲で営まれているもので粗末な1室のみの宿所であった。)そこでたまたま隣に寝ることになったお婆さんの遍路と夜は身の上話をして過ごすこととなった。
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翌朝早く、芳吉はそのお婆さんに揺り起こされた。お婆さんは「今、不思議な夢を見た。あんたの目が見えるようになる夢じゃった。」という。
「あんた信用してへんな。わしの見る夢は正夢になることが多いんやで。」
そのお婆さん遍路はそう言いおいて先に出発していった。
そのあと、芳吉は腰を上げて山門に向かった。そして山門を出た途端、芳吉は「え!!」と言って立ちすくんでしまった。ほんのわずかではあるが、目の中に光が入ってきたのである。そして、うっすらと向こうの方に山並みのようなものが見える…芳吉25歳(明治23年)
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芳吉はその後、巡礼中に知り合った雪蹊寺(四国八十八ヶ所の三十三番札所)の住職 山本太玄師
に拾われる。
「私の目は見えるようになったと言っても盲目に近く、字も読めず、葬式もできません。こんな人間でもお坊さんになれますか。」
太玄師は「親からもらった目はいつの日にか見えなくなる。しかし仏様からもらった心の目はいったん開いたら潰れることはない。
葬式坊主ならいくらでもいる。あんたは心眼を開いて本物の坊さんになりなさい。」と自分の名字まで名乗らせた。
芳吉は山本太玄師のもとで出家、山本玄峰(やまもとげんぽう)という名前はこのようにして生まれた。
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不自由な目で懸命に学び、禅の高僧となる。
(現在も四国八十八ヶ所三十三番札所 雪蹊寺は臨済宗妙心寺派のお寺。)
臨済宗妙心寺派の管長をつとめ、多くの政治家・会社経営者も玄峰師の指導を受けた。特に太平洋戦争の終戦直前、総理大臣 鈴木貫太郎氏が指導を仰いだことは有名である。

※この話の続きは次の投稿で
温泉山 安楽寺(四国霊場第六番札所)(徳島県)

すてき

みんなのコメント2件)

以前取材させていただいたお坊さんも山本玄峰さんのお話しされていたこと思い出しました。

「お寺は文化活動の発信地」毎朝の坐禅で人々が集う【香林院 金嶽住職】
https://hotokami.jp/articles/145/

2021年04月16日(金)

コメント、ありがとうございます。高名な禅僧である山本玄峰師が四国遍路を何度も巡礼されたことにより、禅宗の僧侶の方々も四国遍路に興味をもって下さったのだと思います。

2021年04月16日(金)
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