曹洞宗
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お久しぶりでーすの徳島。徳島県徳島市にあるお寺です。
今年はカレンダー通りのGW。飛び石の中日にお墓参りも兼ねて徳島に行きました。
さてこちらのお寺は血天井で有名なお寺です。
京都でも血天井を見に2院訪れましたが 今度は徳島での血天井です。
もちろん伏見城のものではなく こちらの丈六寺での出来事に由来します。
ネット情報です。
戦国時代 土佐の戦国大名長宗我部元親は阿波国に攻め込んだ。
那賀郡まで攻め入った際 ここを治める牛岐城(富岡城)主新開入道道善は勇猛で知られており攻めあぐねた。
元親は一計を案じ 和議を申し入れた。
天正9年10月16日(新暦1581年11月12日) 道善を丈六寺に呼び出し酒宴を開いた。
和議の条件として 道善に対し四国統一の後に富岡城主の地位を確保し勝浦郡を与えるという案を示した。
好条件に道善主従は大いに満足し 酒宴は盛り上がった。
道善主従が 夕刻 宴を辞して帰ろうと縁側に出たところを 隠れていた元親の家臣に襲撃された。
道善主従も応戦したが 多勢に無勢で全員殺害された。
この時の手形や足形の血痕は 拭っても消えなかったと言われる。
現在 この縁の板は徳雲院前の回廊の天井板として用いられており 手形・足形の血痕らしき赤い形が認められる。
山号は瑞麟山 院号は雲院 宗旨は曹洞宗 ご本尊は釈迦如来(本堂)聖観音(観音堂) 創建年は白雉元年(650年) 中興年は長享延徳年間頃(1487年 - 1491年) 中興は細川成之 金岡用兼(開山)です。

中門(二の門)

鐘楼



寺の外に用水路

三門

三門の説明


境内図

境内の鐘楼

本堂

本堂の扁額

本堂の由緒

血天井の説明

白い部分に手のあと わかります?

経蔵

経蔵の由緒

観音堂

聖観音坐像

由緒

回廊にある賓頭盧尊者と大黒天

烏枢沙摩明王

672年関東から来た尼僧が庵を結んだのが始まりと伝わる。
1466年阿波国・讃岐・三河の守護職・細川成之が金岡用兼を招き曹洞宗に改め中興、伽藍を整備した。
境内には細川成之を始め細川家の縁者や家臣、蜂須賀家家臣の古い墓が数多く残されている。
現在の本堂(重文)は1629年蜂須賀家政が四女・辰の供養のため方丈を再建したものである。
三門(重文)は室町時代末期の建築。
経蔵(重文)は1568年細川真之が修行僧の衆寮(座禅する室)として建立したもので、1727年改修され経蔵に改められた。
観音堂(重文)は1567年細川真之が父・持隆の17回忌に寄進したもの。
観音堂に安置されている聖観音坐像(重文)は藤原時代、平安末期の作と推定される。座高3.1mの丈六仏で丈六寺の寺名の由来となった仏様である。
左手の蓮のつぼみは悟っていない人間を表し、右手は説法印を結ぶ。このような形式の現存する聖観音丈六坐像は日本唯一であるという。
徳雲院は戦国時代に細川持隆が薬師如来を祀る持仏堂として建立したもので、現在の建物は1642年に改築されたものである。
徳雲院前の回廊の天井板はいわゆる血天井で、阿波に攻め込んだ長宗我部元親と戦った牛岐城主・新開道善を謀殺した際の血痕と言い伝えられている。

本堂

本堂

本堂

本堂


三門

三門

三門

三門

三門

徳雲院

徳雲院

血天井


僧堂

僧堂

鐘撞堂





鐘楼

鐘楼

鐘楼

総門(一の門)


二の門


経蔵

経蔵



観音堂

観音堂

観音堂

聖観音

聖観音




宝物館
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 丈六寺 |
|---|---|
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 088-645-0334 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
| 阿波秩父観音霊場 第24番 | 御詠歌: 千代やふる 誓いを法の 舟歌に 唱えて渡れ 丈六の岸 |
|---|
詳細情報
| ご本尊 | 釈迦如来 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
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