法話と天井絵の寺 観音寺の日常(216回目)|徳島県立道駅
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投稿日:2022年03月06日(日)
觀音寺にまつわる話を書き留めておこうと思います。
觀音寺にまつわる88話#2
変遷
開基当時の寺院境内は、現在地より南(松茂町長岸字南洲)にありました。
松茂町史によれば、尾張国知多郡徳里の城主、古川越前守則村の子である三右衛門が元亀3年(1572 年)に部下を率いて当村に館を構えたのが長岸の始まりです。幾多の戦に疲れ、静かに農民として生活することを望んだのでしょう。
同じ頃、播州の浪人であった阿部弥一郎らも長岸に移住し開墾に従事しました。続いて、一森・藤川・川田の諸族も集いあって今日を築きました。
吉野川支流にできた三角州を開墾してできた地区です。一から開墾して屋敷を建て、田畑を耕し、助け合って生活していたのでしょう。
生活が安定してくると、神社と寺が必要だという考えが産まれたと思います。
神社は統合を繰り返したようですが、てらが開かれたのは1602年のことでした。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせるよう祈念しております。
觀音寺にまつわる88話#2
変遷
開基当時の寺院境内は、現在地より南(松茂町長岸字南洲)にありました。
松茂町史によれば、尾張国知多郡徳里の城主、古川越前守則村の子である三右衛門が元亀3年(1572 年)に部下を率いて当村に館を構えたのが長岸の始まりです。幾多の戦に疲れ、静かに農民として生活することを望んだのでしょう。
同じ頃、播州の浪人であった阿部弥一郎らも長岸に移住し開墾に従事しました。続いて、一森・藤川・川田の諸族も集いあって今日を築きました。
吉野川支流にできた三角州を開墾してできた地区です。一から開墾して屋敷を建て、田畑を耕し、助け合って生活していたのでしょう。
生活が安定してくると、神社と寺が必要だという考えが産まれたと思います。
神社は統合を繰り返したようですが、てらが開かれたのは1602年のことでした。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせるよう祈念しております。
すてき
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