いどじ
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井戸寺ではいただけません
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井戸寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月17日(金)
参拝:2023年11月吉日
憧れの四国八十八霊場巡り 3日目の続きです。
17番札所のお寺です。
本堂裏手に広い駐車場があり とても参拝しやすいです。
ぐるっと回って 山門から入ると 広めの境内には建物が多く 見どころ満載です。
この山門 かなり横幅が大きいです。
徳島藩主蜂須賀氏の大谷別邸より移築された 武家造りだそうです。
裏手には巨大わらじが奉納されており お遍路の象徴なのかと思いました。
本堂に至る道に公衆電話がありました。
最近お参りしたお寺には公衆電話が見られることがあり 公衆電話の拠点地になっているのだろうと推察します。
本堂はコンクリート製で比較的新しいのですが まずは屋根が印象的でした。
鯱のような鬼瓦(?)は 四国では他の寺でも拝見しました。
屋根の中央に避雷針があるのも珍しいと思いました。
内陣はとても煌びやかで ご本尊の薬師如来の左右に3体ずつ(?)仏様がおられました。
授与品を扱っていることもあり 参拝者の多くがここに集まっている感じです。
本堂右手には 大師堂と光明殿があります。
どちらも彩色された彫刻が美しいです。
本堂左手には日限大師堂があります。
大師が掘った面影の井戸が中にあり この井戸が井戸寺の名称の元となっているそうです。
水をのぞいて姿が映れば無病息災であるが 映らない場合は3年以内に不幸があるということで 私はと言うと。。映りませんでした。 やばい!
いつもの3倍 手を合わせて祈りました。
別格本山という通り 荘厳なイメージと授与品の多さ 参拝者の多さを感じました。
山号は瑠璃山
院号は真福院
宗旨宗派は真言宗善通寺派
寺格は別格本山
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:面影をうつしてみれば井戸の水 結べば胸のあかや落ちなん
でした。
由緒については
7世紀後半の白鳳時代は 清新な日本文化が創造された時期で 律令制もようやく芽生えて 阿波の国にも国司がおかれた。
この国司に隣接して 天武天皇(在位673〜86)が勅願道場として建立したのが井戸寺であり 当時の寺名は「妙照寺」であったという。
寺域は広く八町四方 ここに七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があり 隆盛を極めたと伝えられている。
本尊は 薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で 聖徳太子の作と伝えられ また 脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。
のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れたとき 檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。
この像は 右手に錫杖 左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で 現在 国の重要文化財に指定されている。
大師はまた この村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ 自らの錫杖で井戸を掘ったところ 一夜にして清水が湧き出した。
そこで付近を「井戸村」と名付け 寺名も「井戸寺」に改めたという。
ただ 南北朝時代以降の寺史は激変する。
まず貞治元年(1362) 細川頼之の兵乱で堂宇を焼失し 次いで天正10年(1582)には三好存保と長宗我部元親との戦いでも罹災している。
江戸時代に本堂が再建されたのは万治4年(1661)であった。
七仏薬師如来は全国でも珍しく 七難即滅 七福即生などの開運に信仰が多い。
とありました。
17番札所のお寺です。
本堂裏手に広い駐車場があり とても参拝しやすいです。
ぐるっと回って 山門から入ると 広めの境内には建物が多く 見どころ満載です。
この山門 かなり横幅が大きいです。
徳島藩主蜂須賀氏の大谷別邸より移築された 武家造りだそうです。
裏手には巨大わらじが奉納されており お遍路の象徴なのかと思いました。
本堂に至る道に公衆電話がありました。
最近お参りしたお寺には公衆電話が見られることがあり 公衆電話の拠点地になっているのだろうと推察します。
本堂はコンクリート製で比較的新しいのですが まずは屋根が印象的でした。
鯱のような鬼瓦(?)は 四国では他の寺でも拝見しました。
屋根の中央に避雷針があるのも珍しいと思いました。
内陣はとても煌びやかで ご本尊の薬師如来の左右に3体ずつ(?)仏様がおられました。
授与品を扱っていることもあり 参拝者の多くがここに集まっている感じです。
本堂右手には 大師堂と光明殿があります。
どちらも彩色された彫刻が美しいです。
本堂左手には日限大師堂があります。
大師が掘った面影の井戸が中にあり この井戸が井戸寺の名称の元となっているそうです。
水をのぞいて姿が映れば無病息災であるが 映らない場合は3年以内に不幸があるということで 私はと言うと。。映りませんでした。 やばい!
いつもの3倍 手を合わせて祈りました。
別格本山という通り 荘厳なイメージと授与品の多さ 参拝者の多さを感じました。
山号は瑠璃山
院号は真福院
宗旨宗派は真言宗善通寺派
寺格は別格本山
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:面影をうつしてみれば井戸の水 結べば胸のあかや落ちなん
でした。
由緒については
7世紀後半の白鳳時代は 清新な日本文化が創造された時期で 律令制もようやく芽生えて 阿波の国にも国司がおかれた。
この国司に隣接して 天武天皇(在位673〜86)が勅願道場として建立したのが井戸寺であり 当時の寺名は「妙照寺」であったという。
寺域は広く八町四方 ここに七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があり 隆盛を極めたと伝えられている。
本尊は 薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で 聖徳太子の作と伝えられ また 脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。
のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れたとき 檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。
この像は 右手に錫杖 左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で 現在 国の重要文化財に指定されている。
大師はまた この村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ 自らの錫杖で井戸を掘ったところ 一夜にして清水が湧き出した。
そこで付近を「井戸村」と名付け 寺名も「井戸寺」に改めたという。
ただ 南北朝時代以降の寺史は激変する。
まず貞治元年(1362) 細川頼之の兵乱で堂宇を焼失し 次いで天正10年(1582)には三好存保と長宗我部元親との戦いでも罹災している。
江戸時代に本堂が再建されたのは万治4年(1661)であった。
七仏薬師如来は全国でも珍しく 七難即滅 七福即生などの開運に信仰が多い。
とありました。
山門(仁王門)
金剛力士 阿
金剛力士 吽
巨大わらじ
手水舎
石柱
公衆電話 拠点地になっているんですね
大師堂
由緒書
光明殿 位牌堂
光明殿の彩色された彫刻
本堂
本堂
本堂内陣
修行大師像
鐘楼
日限大師堂
大師の掘ったとされる井戸
日限大師堂内陣
弁財天祠
納経所
六角堂
納骨堂の灯(?)
小学校跡の碑
境内右半分
境内左半分
すてき
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