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観音寺ではいただけません
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かんおんじ|高野山真言宗光耀山(こうようざん)

観音寺
徳島県 府中駅

おすすめの投稿

sasaki3
sasaki3
2024年10月09日(水)
1113投稿

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
16番 観音寺。

観音寺の御朱印

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
16番 観音寺。

観音寺(徳島県)

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
16番 観音寺。

観音寺(徳島県)

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
16番 観音寺。

観音寺(徳島県)

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
16番 観音寺。

観音寺(徳島県)

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
16番 観音寺。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2023年11月16日(木)
1981投稿

憧れの四国八十八霊場巡り 3日目の続きです。
16番札所のお寺です。
15番札所国分寺から2kmほどの住宅街にあります。
山門すぐ横に駐車場があるので 参拝しやすいです。
山門をくぐってすぐ正面に本堂があります。
本堂の正面の梁にはカラフルな龍の彫刻があります。
他に彫刻が見られないので ここだけピンポイントで美しさを引き立てています。
本堂はまあまあ最近修復工事をされているようで 山門や大師堂に比べて新しさが見受けられるので 少しだけ ほんの少しだけ 嬉しくありませんでした。
大師堂には彩色はありませんでした。
本堂手前には仏足石が 左手には大師修行像が 右手には大師堂が 右手前には夜泣き地蔵様がおられます。
子どもの夜泣き止めをお願いするそうです。
広くない境内ですが 見るものは多いです。
この時もお遍路さんが切れることはありませんでした。
山号は光耀山
院号は千手院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は千手観音
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:忘れずも 導きたまへ観音(かんおん)寺 西方(さいほう)世界弥陀(みだ)の浄土へ
でした。

由緒については
寺伝によれば 創建は天平13年(741年)に聖武天皇が国分寺建立の勅命をだしたのと同時期 行基菩薩に命じて勅願道場として建立されたと伝わっています。
1300年以上の歴史があるお寺です。
その後 弘仁7年(816年)にこの地を訪れた弘法大師が御本尊の千手観音像を刻み 寺号を「観音寺」と改めました。
天正年間(1573年~1592年)には長宗我部元親による兵火で焼失し 荒廃していましたが万治2年(1659年)に3代目徳島藩主・蜂須賀光隆公が再建しています。
とありました。

観音寺(徳島県)

山門(楼門)

観音寺(徳島県)

寺標

観音寺(徳島県)
観音寺(徳島県)

山門裏側から

観音寺(徳島県)

手水舎

観音寺(徳島県)
観音寺(徳島県)

修行大師像

観音寺(徳島県)

仏足跡

観音寺(徳島県)

本堂

観音寺の芸術

彩色された龍の彫刻

観音寺(徳島県)

本堂を横から

観音寺(徳島県)

大師堂

観音寺(徳島県)
観音寺(徳島県)

夜泣き地蔵

観音寺(徳島県)

水子地蔵菩薩

観音寺(徳島県)

本堂

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観音寺の基本情報

住所徳島県徳島市国府町観音寺49-2
行き方

徳島線 府中駅下車 (1.2km)
徳島バス「観音寺北」下車 (0.4km)
15【国分寺】より
(自家用車)約10分 約2km
(徒歩)約25分 約1.7km
17【井戸寺】より
(自家用車)約20分 約4km
(徒歩)約50分 約3km

アクセスを詳しく見る
名称観音寺
読み方かんおんじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ駐車場付近にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号088-642-2375
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

阿波西国三十三観音霊場

第32番

御詠歌:

捨てずなを 導き賜へ 観音寺 西お願いの 弥陀の御国に

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊千手観世音菩薩
山号光耀山(こうようざん)
院号千手院(せんじゅいん)
宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代天平13年(741)
開山・開基弘法大師
ご由緒

寺に伝わる宝物に『観音寺縁起』一巻がある。巻末に「享保十乙秋穀旦 南山沙門某甲謹書」の署名があり、享保10年(1725)に高野山の僧が筆写したことがわかる。その冒頭で「南海道阿波国名東郡観音寺邑 光耀山千手院観音寺縁起」と書き出し、観音寺が弘法大師によって創建され、大師自ら千手観音像を彫造して本尊にしたこと、また脇侍像に悪魔を降伏する不動明王像、鎮護国家の毘沙門天像を刻んだことや、徳島藩主の蜂須賀綱矩公が新築・移転に協力したことなどの寺史が詳しく記されている。この『縁起』とは別に、寺伝では聖武天皇(在位724〜49)が天平13年、全国68ヶ所に国分寺・国分尼に寺を創建したときに、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹とされている。弘法大師がこの地を訪ねているのは弘仁7年(816)のころで、本尊像などを彫造して再興し、現在の寺名を定めたとされている。

その後、他の阿波各地の霊場と同じように栄枯盛衰の運命を歩み、「天正の兵火」(1573〜92)にも罹災、蜂須賀家の帰依を受けて万治2年(1659)に宥応法師によって再建され、現在に至っていると伝えられる。大正2年ころ、両親につれられて参拝した盲目の高松伊之助さんという方が、本尊のご利益により目が見えるようになり、松葉杖を奉納したはなしが語りつがれている。遍路道に面した和様重層の鐘楼門は、むかしの面影を残し堂々とした風格がある。

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