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楽しみ方那須神社のお参りの記録一覧
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群馬御城印プロジェクトにて
那須与一公の武将印をお受けしました🤗ら
やっぱりどうしても必ず何がなんでも絶対に
是が非でもとの思いに至り
栃木県に鎮座しております那須神社へ参拝⛩
御祭神は応神天皇(誉田別名 ほむだわけのみこと)☀️
征夷大将軍坂上田村麻呂公や源義家公が奥州征伐の際に
戦勝祈願をおこなったと伝えられ
武運の神様として崇拝されております⚔️
いわば武士の精神的主柱の場といっても
過言ではございません🗡️
この地に生を賜り育った与一公は
那須氏二代目当主として辺り一帯を支配しておりました
屋島の戦いでは弓の名手として参戦。
渾身を込めた一矢は見事に平氏の扇の窓に的中🎯
源氏の士気を上げる事に成功し
戦いを勝利に導きました。
海に浮かぶ扇の窓を当てるのは至難の技で正に神技🏹
練習なしに当てるのは出来かねますが
子供の頃より那須神社を崇拝している与一公には
きっと武運の神様が宿っており
的ヘ導いたのではないかとしか
説明のしようがございません。
ってか練習なしに海に浮かぶ動く的を
一発で当てるのはムリ🙅♂️
本当に難しいと思いますよ。絶対に無理🙅♂️
外していたらと思うと想像するだけでゾッとします😨
でも、与一公は自分には武運の神様である
那須神社の神様が宿っていると自分言い聞かせ
心を落ち着かせ精神の安定に努め、自信を失わず
神が宿りし放った渾身の神矢🏹
与一公には放った瞬間、当たると確信したに
違いありません。
的当てに名乗りを上げた那須与一公は真のもののふ
武士のかがみ、日本のかがみでございます🇯🇵
現代に生きていたら弓道永久ライセンスと国民栄誉賞
あげたいですね🏅
これからもずっといつまでも永久に語られる事でしょう🇯🇵


源平合戦の扇射で有名な那須与一の郷の地の八幡様。
遡れば坂上田村麻呂が東北平定の折に宇佐八幡さまを勧請して祈願したとのことで、那須与一が扇を射る際に、「南無八幡大菩薩、この矢を外し給うな。」の八幡様とも伝えられているお社。
(那須温泉神社ともいわれている)
先日、那須地域を廻った際にお見かけしたものの遅い時間だったので今回お参りさせて頂きました。
苔生した神橋や石畳は、滑りやすいので筵が敷かれていて滑らないようにされているお心遣いがありがたいです。
参道の杉並木、社殿周りの並木はとても幹が太く立派です。
今も流鏑馬神事が行われているそうです。
また、楼門もとても綺麗で立派なのですが、社殿は痛みがある箇所もあり、どちらも文化財指定されているものの維持されるのは大変なのだなと感じました。
特に、拝殿の扁額が傾いていてちょっと残念でした。
私は車で社地にある駐車場に車を停めておまいりしましたが、近くの道の駅に停めて、一の鳥居から参道を歩いてお詣りするのもよいと思います。
ご朱印は、カラーの印刷書き置き(見開き)と直書き(見開き)、通常の3種類があります。

仁徳天皇(313~399年)時代の創立で、さらに延暦年中(782~806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って八幡宮にしたと伝えられています。
その後、那須氏の崇敬篤く、那須氏没落の後は黒羽(くろばね)城主大関氏の氏神としてあがめられ、天正5年(1577年)には大関氏によって本殿・拝殿・楼門(写真)が再興されたと社記は伝えています。
社宝には、那須与一が奉納したといわれる太刀や寛永19年(1642年)の建立と推測される楼門などがあり、春と秋の例大祭に奉納される永代々神楽、獅子舞、流鏑馬の行事なども有名です。那須神社の獅子舞の起源はさだかではありませんが、大関増清が応永年間(西暦1394年~西暦1428年)に、余瀬に白旗城築城の際、地鎮として舞われたものであると伝えられています。
金丸八幡宮(現那須神社)は、黒羽(くろばね)藩主大関氏累代の崇敬の的であり、9月15日の例大祭には城主みずから参拝し、舞を鑑賞したといわれております。
栃木県のおすすめ2選🎌
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