なすじんじゃ
那須神社のお参りの記録一覧
金丸八幡宮とも称す。
平安時代末期(12世紀末)の創建と伝わる。
那須与一が屋島の戦いで扇の的を射落とすことが出来た事に感謝して奉納したとされる太刀が伝わる。
中世、近世は那須氏、黒羽藩主・大関氏の氏神として祀られ保護を受けた。
現在の本殿は1641年、楼門は1642年羽黒藩3代藩主・大関高増により再建されたもので重文指定されている。
拝殿
本殿
本殿
本殿
石灯篭(1642年大関高増が奉納・重文附指定)
石灯篭(1642年大関高増が奉納・重文附指定)
楼門
楼門
楼門
楼門
愛宕神社
手水舟(1642年大関高増が奉納・重文附指定)
金丸塚
仁徳天皇の時代に下野国奈良別命が国家鎮護のため黄金の玉を埋め塚を築いてヤマトタケルノミコトと春日大神を祀ったという
気持ちが少しスッキリしないのでリフレッシュのために参拝。
道の駅 与一の里のとなりにあるので、道の駅に車を停めて、杉並木の参道を通って参拝。人も少なく、杉並木で音も遮断されるためか、静かに穏やかに参拝することができた。
ご祭神は応神天皇(誉田別名:ほむだわけのみこと)
境内は苔の緑があざやかで心落ち着く空間でした。
御朱印は境内横の神主さん宅で頂きます。御朱印帳を忘れたので、書置き用紙にその場で書いていただきました。
参道の入口。杉並木になっている。
手水舎
橋がいい感じに苔で緑色に。歩く部分は滑り止めマットが敷いてあるので大丈夫。
本殿
御朱印は3種類。
群馬御城印プロジェクトにて
那須与一公の武将印をお受けしました🤗ら
やっぱりどうしても必ず何がなんでも絶対に
是が非でもとの思いに至り
栃木県に鎮座しております那須神社へ参拝⛩
御祭神は応神天皇(誉田別名 ほむだわけのみこと)☀️
征夷大将軍坂上田村麻呂公や源義家公が奥州征伐の際に
戦勝祈願をおこなったと伝えられ
武運の神様として崇拝されております⚔️
いわば武士の精神的主柱の場といっても
過言ではございません🗡️
この地に生を賜り育った与一公は
那須氏二代目当主として辺り一帯を支配しておりました
屋島の戦いでは弓の名手として参戦。
渾身を込めた一矢は見事に平氏の扇の窓に的中🎯
源氏の士気を上げる事に成功し
戦いを勝利に導きました。
海に浮かぶ扇の窓を当てるのは至難の技で正に神技🏹
練習なしに当てるのは出来かねますが
子供の頃より那須神社を崇拝している与一公には
きっと武運の神様が宿っており
的ヘ導いたのではないかとしか
説明のしようがございません。
ってか練習なしに海に浮かぶ動く的を
一発で当てるのはムリ🙅♂️
本当に難しいと思いますよ。絶対に無理🙅♂️
外していたらと思うと想像するだけでゾッとします😨
でも、与一公は自分には武運の神様である
那須神社の神様が宿っていると自分言い聞かせ
心を落ち着かせ精神の安定に努め、自信を失わず
神が宿りし放った渾身の神矢🏹
与一公には放った瞬間、当たると確信したに
違いありません。
的当てに名乗りを上げた那須与一公は真のもののふ
武士のかがみ、日本のかがみでございます🇯🇵
現代に生きていたら弓道永久ライセンスと国民栄誉賞
あげたいですね🏅
これからもずっといつまでも永久に語られる事でしょう🇯🇵
源平合戦の扇射で有名な那須与一の郷の地の八幡様。
遡れば坂上田村麻呂が東北平定の折に宇佐八幡さまを勧請して祈願したとのことで、那須与一が扇を射る際に、「南無八幡大菩薩、この矢を外し給うな。」の八幡様とも伝えられているお社。
(那須温泉神社ともいわれている)
先日、那須地域を廻った際にお見かけしたものの遅い時間だったので今回お参りさせて頂きました。
苔生した神橋や石畳は、滑りやすいので筵が敷かれていて滑らないようにされているお心遣いがありがたいです。
参道の杉並木、社殿周りの並木はとても幹が太く立派です。
今も流鏑馬神事が行われているそうです。
また、楼門もとても綺麗で立派なのですが、社殿は痛みがある箇所もあり、どちらも文化財指定されているものの維持されるのは大変なのだなと感じました。
特に、拝殿の扁額が傾いていてちょっと残念でした。
私は車で社地にある駐車場に車を停めておまいりしましたが、近くの道の駅に停めて、一の鳥居から参道を歩いてお詣りするのもよいと思います。
ご朱印は、カラーの印刷書き置き(見開き)と直書き(見開き)、通常の3種類があります。
仁徳天皇(313~399年)時代の創立で、さらに延暦年中(782~806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って八幡宮にしたと伝えられています。
その後、那須氏の崇敬篤く、那須氏没落の後は黒羽(くろばね)城主大関氏の氏神としてあがめられ、天正5年(1577年)には大関氏によって本殿・拝殿・楼門(写真)が再興されたと社記は伝えています。
社宝には、那須与一が奉納したといわれる太刀や寛永19年(1642年)の建立と推測される楼門などがあり、春と秋の例大祭に奉納される永代々神楽、獅子舞、流鏑馬の行事なども有名です。那須神社の獅子舞の起源はさだかではありませんが、大関増清が応永年間(西暦1394年~西暦1428年)に、余瀬に白旗城築城の際、地鎮として舞われたものであると伝えられています。
金丸八幡宮(現那須神社)は、黒羽(くろばね)藩主大関氏累代の崇敬の的であり、9月15日の例大祭には城主みずから参拝し、舞を鑑賞したといわれております。
手水舎
楼門
楼門の天井
社殿
社殿の中
本殿
那須神社で書置きの御朱印を頂きました。
こちらも3度目の参拝でご縁がありました。
那須神社の一の鳥居は大田原市南金丸に鎮座し、道の駅与一の里が隣にあり
駐車場はそこを利用できます。
那須神社の楼門は朱塗りの三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺で江戸時代前期の建立と言われており
国の重要文化財に指定されています。
那須神社のご祭神は応神天皇です。
別名は金丸八幡宮とも言われています。
那須神社の本殿も国の重要文化財に指定されています。
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御朱印
由緒書
一の鳥居
長い参道
二の鳥居
手水舎
狛犬
楼門
楼門の天井
右大臣左大臣
拝殿
本殿
別名、金丸八幡宮。
那須与一が屋島の合戦で扇を射る時に「南無八幡大菩薩」と祈念したのが、故郷のこの八幡様だそうです。
「那須与一の郷」という道の駅の隣にあり。
道の駅には那須与一伝承館というのもあって、昔NHKでやってた三國志風の、屋島の合戦の人形劇を見ることができます。
ちなみに夜の玉藻稲荷の禍々しさにビビって逃げ出したあと、ここで車中泊させていただきましたw
授与所は無人でしたが、居宅の方で奥様から御朱印をいただくことができました。
授与所で「八溝十宝霊場」と書かれているファイルを見て、これはなんですか(・_・?)と尋ねてみたところ、那須の東側にある八溝山麓に点在する十ヶ所の寺社を色紙に集印する霊場巡りとのこと。
奥様が色紙を取り出して見せてくれたのですが、これが大きくてなかなか立派な物(*゚∀゚)=3
しかも色紙800円、印は1ヶ所辺り200円と低額。
実は霊場巡りで一度掛け軸受印をやってみたいと思ってたのですが、どこも一万円以上と初期投資が高額で手が出せず(*_*;
これなら数も値段もお手頃なのでぜひやってみたい!(゚∀゚)と購入し最初の受印。
すると奥様が「ウチからスタートしてくれたので気分がノッた!」と、現在コロナ対策で書置き対応中の御朱印まで直書きで書いてくれましたw
さて、色紙を購入して札所を調べてみたところ・・・ファッ!?Σ(; Д)゚ ゚
南は鷲子山上神社で、北は福島かよ(´Д`|||)
しかもちょうど真ん中から初めちまった・・・ orz
(ここから始める人ほとんどいないと思うので、道理で奥様が喜んでたワケだ(^^;)
こりゃ今からだと一泊二日じゃムリだな(;-∀-)ということで、那須滞在を1日延長することにしましたw
現在書き置き対応中らしいんですが、本文に書いたように奥様の「気分がノッた」らしく、直書きでいただけましたw
八溝十宝霊場の色紙
これを買ったばかりに、予定を1日延長して福島から茨城に跨がる大冒険に発展してしまった( ̄▽ ̄;)
一の鳥居
非常に長い参道
これを利用して流鏑馬とかも行われるようです
御神木
二の鳥居
手水舎
特に水も止められておらず平常運転
おそらく祭礼時とかに使用されるテント
なぜか将棋の王将がw
楼門前に太鼓橋
今日は雨で滑りやすいので筵を踏み外さないように注意
楼門
拝殿
本殿
お稲荷さん
神明宮
額が外れかかってました・・・
このように全体的に荒れた感じの神社ですが、2023年から10年掛けて大改修の予定だそうです
摂社末社群
接写末社群
一番後は塚になってました
古墳かもしれません
これを見たのが全ての始まりだった・・・(^^;
ご覧のようにちょうど真ん中w
非常に効率が悪い(^^;
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