りんのうじ
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輪王寺ではいただけません
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輪王寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2023年08月22日(火)
参拝:2023年8月吉日
日光山最初の寺院とされる四本龍寺を起源とする。
766年勝道上人によって開かれたと伝わる。
勝道上人一行が大谷川を渡れずに難儀している時、深沙大王が現れ2匹の大蛇を放ち、大蛇は橋となり勝道上人が無事対岸へ渡るのを助けたという伝説が残る。
日光山内への入り口に掛かる神橋(しんきょう)はこの伝説の場所にかかっており、橋の先には深沙大王を祀る深沙王堂が建つ。
勝道上人は大谷川の対岸に草庵を結び「紫雲立寺」(しうんりゅうじ)と称したが、後に音の似ている「四本龍寺」(しほんりゅうじ)と改めたという。
この四本龍寺が現在の輪王寺である。
旧四本龍寺跡には重文指定されている観音堂と三重塔が建つ。
三仏堂は日光山の総本堂である。現在の建物は1645年徳川家光の建築で重文指定されている。
766年勝道上人によって開かれたと伝わる。
勝道上人一行が大谷川を渡れずに難儀している時、深沙大王が現れ2匹の大蛇を放ち、大蛇は橋となり勝道上人が無事対岸へ渡るのを助けたという伝説が残る。
日光山内への入り口に掛かる神橋(しんきょう)はこの伝説の場所にかかっており、橋の先には深沙大王を祀る深沙王堂が建つ。
勝道上人は大谷川の対岸に草庵を結び「紫雲立寺」(しうんりゅうじ)と称したが、後に音の似ている「四本龍寺」(しほんりゅうじ)と改めたという。
この四本龍寺が現在の輪王寺である。
旧四本龍寺跡には重文指定されている観音堂と三重塔が建つ。
三仏堂は日光山の総本堂である。現在の建物は1645年徳川家光の建築で重文指定されている。
神橋
深沙王堂
四本龍寺観音堂(重文)・三重塔(重文)
四本龍寺観音堂(重文)
四本龍寺本堂。807年下野国司・橘利遠の建立。
四本龍寺本堂。807年下野国司・橘利遠の建立。
四本龍寺観音堂(重文)
四本龍寺三重塔(重文)
1241年弁覚上人が源実朝の供養のため建立したもの。現在の建物は1685年の再建。
1241年弁覚上人が源実朝の供養のため建立したもの。現在の建物は1685年の再建。
四本龍寺三重塔(重文)
四本龍紫雲石
三仏堂(本堂)(重文)
相輪橖(重文)
1643年徳川家光の発願により天海僧正が東照宮奥院鬼門に建立された仏塔。明治の神仏分離により1881年現在地に移された。
1643年徳川家光の発願により天海僧正が東照宮奥院鬼門に建立された仏塔。明治の神仏分離により1881年現在地に移された。
黒門(本坊表門)(重文)
日光山総本坊・光明院の正門。
日光山総本坊・光明院の正門。
光明院稲荷社
1240年弁覚上人が総本坊・光明院を創建した際、鎮守として建立された。
1240年弁覚上人が総本坊・光明院を創建した際、鎮守として建立された。
常行堂(重文)
江戸時代
江戸時代
常行堂(重文)
江戸時代
江戸時代
常行堂法華堂渡廊(重文)
江戸時代
江戸時代
法華堂(重文)
江戸時代
江戸時代
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