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神橋(二荒山神社)ではいただけません
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しんきょう

神橋(二荒山神社)のお参りの記録(1回目)
栃木県東武日光駅

投稿日:2024年10月06日(日)
参拝:2024年8月吉日
お盆休みを利用して日光山内の二社一寺を巡りました。 輪王寺、日光東照宮、そして日光二荒山神社は平成11年(1999年)にユネスコ世界文化遺産の「日光の社寺」として登録されていて、日光にはいつかは訪れたいと想いつつ、今回念願叶っての初来訪です。 「神橋」は日光二荒山神社の建造物の一つで、日光山内の入口に架かる朱塗りの美しい反橋です。 橋下に流れるのは、中禅寺湖を発して華厳の滝を流下し日光市内へと流れ出る大谷川で、神橋の赤い欄干と大谷川の青い清流とのコントラストは溜息が出る程の美しさでした。 伝説によると天平神護2年(766年)、勝道上人(しょうどう しょうにん)は二荒山(男体山)の登頂を試みるも大谷川の激流に徒渉する術なく難儀します。 この苦境に上人は護摩を焚いて神仏に加護を求めたところ、川の北岸に一人の神人が現れて「我は深沙大王である。汝を彼の岸に渡すべし」と言いながら手に持っていた二匹の蛇を放ったとされます。 その二匹の蛇は忽ち川の対岸とを結び、その背には山菅が生えて橋となったので、上人は早速これによって急流を渡ることができたと云い、この伝説から、神橋は「山菅の蛇橋」とも呼ばれているそうです。 現在のような朱塗りの橋になったのは寛永13年(1636年)の東照宮の大造替時で、嘗ては徳川将軍・日光例幣使と山伏しか渡れなかったそうですが、現在では拝観料を払えば誰でも渡ることができます。 とは言うものの橋は一方通行で、橋を通っては対岸へと行けない造りとなっています。 神橋の北端の行き止まりまで行って国道122号を挟んで見える深沙王堂の小さな祠に掌を合わせました。
神橋(二荒山神社)(栃木県)
日光二荒山神社/神橋・景観
神橋(二荒山神社)(栃木県)
日光二荒山神社/神橋・景観
神橋(二荒山神社)(栃木県)
日光二荒山神社/神橋・入口鳥居
神橋(二荒山神社)(栃木県)
日光二荒山神社/神橋・景観
神橋(二荒山神社)(栃木県)
日光二荒山神社/神橋・橋姫明神
神橋(二荒山神社)(栃木県)
日光二荒山神社/神橋・深沙王堂
神橋(二荒山神社)(栃木県)
日光二荒山神社/神橋・大谷川を望む
神橋(二荒山神社)(栃木県)
「日光の社寺」の石碑
神橋(二荒山神社)(栃木県)
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