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日光東照宮ではいただけません
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日光東照宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月26日(日)
参拝:2020年9月吉日
日光東照宮は、栃木県日光市にある神社。旧社格は別格官幣社で、現在は単立神社。主祭神は徳川家康公(東照大権現)、相殿神は豊臣秀吉公、源頼朝卿。正式名称は「東照宮」で、他の東照宮と区別するために「日光東照宮」と呼ばれる。全国に700社ほどある「東照宮」の総本社的存在。久能山東照宮、上野東照宮とともに「三大東照宮」の一つに数えられる。当社境内は日光二荒山神社、輪王寺の境内とともに「日光山内」として国の史跡に指定され、「日光の社寺」としてユネスコの世界遺産に登録されている。本殿、石の間及び拝殿、正面及び背面唐門、東西透塀、陽明門、東西廻廊の5件8棟が国宝。祈祷殿、神楽殿、神輿舎、鐘楼、鼓楼など34棟が国指定の重要文化財。
創建は江戸時代初期の1617年。徳川家康が1616年に駿府(現静岡市)で死去し、遺命により久能山に葬られ、久能山東照宮が完成したが、翌1617年に下野国日光に改葬された。当初「東照社」と称したが、1645年に朝廷から宮号が授与されたため「東照宮」と改称した。国家鎮護の「日本之神」として、1646年の例祭からは朝廷からの奉幣が恒例となり、奉幣使(日光例幣使)が派遣された。明治時代の神仏分離により、日光は神社の東照宮、二荒山神社、寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立し、のち当社は別格官幣社に列格した。
当社は、「日光山内」の中央奥にあり、最寄りの東武日光線の終点・東武日光駅の西北西2kmの山裾にある。境内はひな壇のように4段になっている。入口の低い段には石鳥居、五重塔、拝観券売場、表門(有料拝観入口)があり、2段目には下神庫、西浄、中神庫、上神庫、神厩舎、御水舎、輪蔵、3段目には本地堂、鼓楼、鐘楼があり、陽明門から入る4段目には拝殿、本殿、石の間、祈祷殿、神楽殿、神輿庫、東西廻廊、東西透塀などがある。
今回は、国の史跡、世界遺産、旧別格官幣社、「東照宮」の総本社として参拝することに。参拝時は祝日の午前中であったため、境内はどこも観光客でごった返していた。
創建は江戸時代初期の1617年。徳川家康が1616年に駿府(現静岡市)で死去し、遺命により久能山に葬られ、久能山東照宮が完成したが、翌1617年に下野国日光に改葬された。当初「東照社」と称したが、1645年に朝廷から宮号が授与されたため「東照宮」と改称した。国家鎮護の「日本之神」として、1646年の例祭からは朝廷からの奉幣が恒例となり、奉幣使(日光例幣使)が派遣された。明治時代の神仏分離により、日光は神社の東照宮、二荒山神社、寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立し、のち当社は別格官幣社に列格した。
当社は、「日光山内」の中央奥にあり、最寄りの東武日光線の終点・東武日光駅の西北西2kmの山裾にある。境内はひな壇のように4段になっている。入口の低い段には石鳥居、五重塔、拝観券売場、表門(有料拝観入口)があり、2段目には下神庫、西浄、中神庫、上神庫、神厩舎、御水舎、輪蔵、3段目には本地堂、鼓楼、鐘楼があり、陽明門から入る4段目には拝殿、本殿、石の間、祈祷殿、神楽殿、神輿庫、東西廻廊、東西透塀などがある。
今回は、国の史跡、世界遺産、旧別格官幣社、「東照宮」の総本社として参拝することに。参拝時は祝日の午前中であったため、境内はどこも観光客でごった返していた。
南側の表参道から、<石鳥居>と<社号標>。樹木の高さ、太さに圧倒される。
<社号標>アップ。
石鳥居をくぐったところから、前方を望む。中央の高い位置にあるのが<表門>。その左下が<拝観券売場>。
石鳥居をくぐったところから、左方向を向くと<五重塔>。
石鳥居をくぐったところから、右方向を向くと<授与所>。(ただし御朱印はここではない。)
前方左手にある<拝観券売場>。
拝観券売場の右側にある階段を登る。
階段を登ったところにある<表門>から有料拝観エリアに入る。
入ってすぐ左側には、多数の<燈籠>が並ぶ。右側には<下神庫>がある。参道はやがて左折する。
燈籠群の先にある<神厩舎>。
神厩舎の壁に嵌っている、有名な彫刻の一つ<見ざる言わざる聞かざる>。
神厩舎の先にある<神札授与所>。(ただし御朱印はここではない。)
参道は右折する。振り返ると左から順に、<上神庫>、<中神庫>、<西浄>、<下神庫>。
正面を向くと<青銅鳥居>が立ち、その先に階段があってその上には、左に<鼓楼>、中央に<陽明門>、右に<鐘楼>が見える。
青銅鳥居の左手にある<御水舎>。
御水舎の先にある<輪蔵>。
輪蔵の上の段にある<鼓楼>。手前左にあるのは<燈台穂屋>。
青銅鳥居をくぐって、右側にある<上神庫>。
上神庫の上の段にある<鐘楼>。
階段を上がって正面に向かうと、さらなる階段の上に<陽明門>、その両側に<東西廻廊>が伸びる。
<陽明門>全景。煌びやかな装飾に繊細な彫刻。
<陽明門>アップ。扁額には<東照大権現>の文字。
陽明門をくぐると、正面には<正面唐門>とその両側に<東西透塀>が伸びる。奥には社殿(拝殿)が見える。
観光客の皆さんは、振り返って<陽明門>に見入っている。
観光客の皆さんは、振り返って<陽明門>に見入っている。
<正面唐門>全景。
陽明門をくぐったところから右側を望む。左の建物は<祈祷殿(上社務所)>、右の建物は<神楽殿>。
こちらが<祈祷殿>。自分は、前回参拝時はこちらで厄年の祈祷をしてもらった。
祈祷殿の前にある、気になる<燈籠>。
祈祷殿と神楽殿の間を抜けると、家康の墓所がある奥社への参道入口、東回廊潜り(くぐり)門があり、その上部には有名な彫刻<眠り猫>がある。
神楽殿の右側にある<授与所>。御朱印はこちら。
授与所から見た<唐門・東西透塀・拝殿>
唐門に向かって左側にある<神輿舎>。
神輿舎の前から<陽明門>を見上げる。どの角度から見ても美しい造り。
最後に<唐門・東西透塀・拝殿>正面。(さっきよりずいぶん人が減ったみたい。)
陽明門の天井にある<雲龍図>。狩野探幽作の<昇り龍(八方睨みの龍)>と<降り龍(四方睨みの龍)>の2枚があり、写真は<降り龍>。
陽明門の位置から<鼓楼>を望む。その後ろには<本地堂(薬師堂)>がある。
鼓楼手前にある、もう一つの<燈台穂屋>。細工が繊細で美しい。
再度、青銅鳥居から陽明門を望む。さっきと比べて圧倒的に人が減った。
表門を出たところ。観光客の多さには大きな波があるみたい。
観光客の多い石鳥居から東側に少し進んだ、ひと気の少ない場所にある<御仮殿>。御本社を修理する際に、祭神を一時的に遷すための御殿。
現在の<御仮殿>は、徳川3代将軍家光により1639年に造営されたもので、国指定の重要文化財となっている。
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惣一郎1269投稿
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