しもつけやくしじ(旧あんこくじ)|真言宗智山派|医王山
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下野薬師寺 (旧 安國寺)の御朱印・御朱印帳
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電話番号 | 0285-48-0180 |
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奈良時代、僧侶になるには大変であった。それは何冊もの本やネットで知りえた情報であるが、先月、九州に行き、五木寛之先生の著書から「3つの戒壇」の存在を知ったのだった。
仏教が隆盛するに伴い、様々な問題も現れ始めます。まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきたこと、そして、生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、勝手に出家し僧を名乗るようになってきたことです。これに困った朝廷は、正式に僧侶としての資格を与える“受戒”を行える僧を、唐から招請することを決め、それに応え、鑑真和上が多くの困難を乗り越えて来日。以来、僧侶として認められるためには、“受戒”の儀式を受けなければならない決まりとなりました。そして、“受戒”の儀式を行える場所=「戒壇」(かいだん)を持つ寺院が、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、そして東国の下野薬師寺の3カ所と定められました。これらは、総称して「三戒壇」と呼ばれました。下野薬師寺は、東海道の足柄峠、東山道の碓氷峠より関東・東北の僧に戒を授けることのできる、大変重要度の高い寺院となり、ますます隆盛を極めることとなります。
(栃木県下野市のページより)
唐僧鑑真和上が天平勝宝6年(754)に来朝して、わが国に初めて正しい戒律を伝えた。その折、聖武太上天皇や孝謙天皇が受戒された大仏殿前の土壇をこの地に遷して戒壇堂を築き、伽藍を造営したのが戒壇院の起こりで、やがてここから多くの僧が巣立っていった。(奈良・東大寺より)
東大寺まで行くのは大変だということで、九州の筑紫、現在の太宰府と下野にも戒壇院が設けられたのだ。3か所のみ。
撫で薬師さまは、どこか悪い所を撫でると良いのだそうで、私の場合、頭と性格が悪いので、懸命に頭を撫でたのだった。
住職夫人が対応されたのだが、太宰府にも行かれているようで、観世音寺や戒壇院をよく知っておられた。鑑真和上に大変詳しい方であった。
ああ、ここは真言宗とかそういうくくりではなく、鑑真和上が仏教を伝えたその頃のままの信仰なんだなと思うのであった。
この跡地は時が止まっている。。。
夏空や 鑑真想いし 戒壇院
こちらは、奈良の唐招堤寺より株分けされた、瓊花(けいか)の樹だ。
ガクアジサイに似た花らしく、季節的にはその頃に咲くらしいのだが、紫陽花と違い、とても良い香りがするとの事。
中国茶のジャスミン茶のような香りなのだろうか?
奈良に行くか、こちらに又来るか。
ああ、まだまだ死ねないや。
薬師如来を信仰する「薬師信仰」は聖徳太子が用明天皇の病気治癒を祈って薬師如来像を建てて以来、天武天皇が皇后の病気治癒を願って大和に薬師寺を建立した頃盛んになった。下野薬師寺も天武天皇から持統天皇の時代に、国の中央の権力者が建てたものと考えられるそうですね。
当時、正式な僧侶の資格証明所を授ける戒壇は中央(奈良 東大寺)、西(太宰府 観世音寺)東(下野 薬師寺)の三戒壇があり、僧侶を統括する役目もあったそうです。
過去の栄華を思い起こさせる回廊も一部復元されています。
道鏡が左遷された場所としても有名ですが、戒壇跡に建っている戒壇堂には鑑真がおいでになります。
山門は「安国寺」
下野薬師寺じゃないの?って思った!
本殿
戒壇院跡に建てられた六角堂。
鑑真像
復元された回廊
ひろーい
金魚のよう椿の葉
見つけられたら良いことがあるよ、とご住職が教えてくれました。
良くみると、沢山あります。
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