たかはしじんじゃ
高椅神社のお参りの記録一覧
下総国結城郡の式内社です。日本における料理の神様である磐鹿六雁命さまを祀っており、全国の料理関係者からの崇敬を集めています。今回は毎年10月第一土曜日に行われている秋季例大祭を観に行ってきました。
《社号碑》
アクセスが本当に悪いので、めっちゃ早くに出発しました・・・
《参列者参進》
8時45分ごろから受付をはじめ、9時ごろに雅楽演奏者を先頭に進み始めました。
《表参道》
朝から小雨がぱらついていましたが、参進には困らないほどに止んでいました。
《拝殿》🙏
《祭典開式の太鼓》
大太鼓と締太鼓の二刀流とは珍しい。
《来賓席》
《直会》
宮司さんが挨拶しています。総代さんだけでなく県・市議会議員さんや調理師関係の方々も参列されていました。
《直会後の拝殿》
何やら白布のかかった台が置かれています。
《参拝者の方々》
次に行われる儀式を見るためにごった返しています…
《庖丁式》
👁チェックポイント‼️
当社では隔年で祭典後に庖丁式が行われています。庖丁式は平安時代から続く儀式の一つで、神社以外だと食品・食材の式典などでも奉納されています。
こちらは儀式の前にまな板を鈴祓いで清めています。
そのあとまな板を付近で綺麗にして
《庖丁師による調理》
基本的に儀式で用いられる魚は鯛か鯉なのですが、当社は禁鯉宮、鯉が神使であるであるため鯛を使います。
鯛を捌く間は一切手を触れず、左手の箸と右手の包丁のみを使って切っていきます。
捌いた鯛を三方に盛り付けた後は
宮司さんへ献上します。
宮司さんはその鯛を神饌として本殿はお供えします。
《本殿》
薄暗いので見えにくいですが、本殿の瓶子の置いてある三方の横に鯛がお供えされています。
《太太神楽》
1番最初に宮司さんによる祝詞奏上のあと御幣を持って舞います。この絵面、前にあるでかい猫に祝詞を読んでいるかのようです…
《この猫は…?》
こちらは小山市商工会議所のPRキャラ「ふうにゃ&むむにゃ」です。
《餅投げ》
各太太神楽の演目が舞われた後に餅投げが行われ、遊びに来ていた子供達が取り合ってます。
記念すべき1300件目の投稿は!!!小山市の高椅神社だぁぁぁあ!!!!!
下総国結城郡の式内社で、下総国といえば千葉県か茨城県のイメージがありますが意外にも横長で西の方は若干北側に食い込んでいるため、当社のみ栃木県となっています。
宮中の食膳を守る神様である磐鹿六雁命さまを祀っており、式内社では当社の他に高橋神社、高家神社が挙げられます。
《社号碑と灯籠》
明治には県社に列格しています。鳥居はないようです。
《表参道》
磐鹿六雁命さまは東国巡行をしていた景行天皇さまが海で獲ってきたハマグリを膾にして献上したことから膳大伴部という姓と役職を得たと言われています。
また、岐阜県の方には4社ほど分社があるみたいですね。
《手水舎》
蛇口式でした。
《鳥居と楼門》
色が似てて気づきませんでした。
《楼門由緒》
《拝殿》
夕暮れ時に撮影したせいか、灯籠の明かりが強めに撮れました。
ちなみに老年だった磐鹿六雁命さまが実際にこの地に留まって暮らしていたそうで、同じ御祭神の神社の中では最古と考えられているらしいです。
《石碑》
👁チェックポイント‼️
この神社は10月の例祭に包丁式が行われています。包丁式は手を使わず包丁、まな板、箸を使って魚を捌く儀礼であり、料理関係の神社や料理関係の式典で披露されたりしています。四条家の包丁式は鯉を捌きますが、こちらでは鯉を食すことが禁忌とされているので鯛を捌くようです。
《扁額》🙏
正一位の神階を得ていたようです。
《末社群》
《本殿》
結構大きめの三間社流造です。
通りがかりにお参りしました。境内は綺麗でしたが人がいなくて連絡先も分からず御朱印貰えず。。
随神門がある神社で、他にも近年色々綺麗にしたのか立派だったのに残念。
綺麗な参道
手前に鳥居。結構変わった形。その奥に随神門
拝殿の写真を撮り忘れ…これだけ
さて、網戸神社のある小山市まで来たものの、ここからどうやって真岡市に行こうかちょっと悩みまして(-_-)゛
一番無難なのは一旦茨城入りして結城、下館、筑西辺りを通るルートですが、この辺りは全く未開拓かつ面白そうな寺社多数のため、結城七社巡りとかに誘惑されたら今日の予定が完全に詰むので、ギリギリ県境を越えないようにこちらの神社を選択(^^;
式内社ですが、宮司常駐ではなく受印は電話連絡。
ご足労願うのも訪問するのもちょっと気が引けて当初は参拝だけするつもりだったのですが、以外と距離があって着いたらもう11時近く(><)
このまま次の所に行くと完全にお昼時で場所によっては迷惑になるので、せっかくだから御朱印いただくことにしました。
記帳にあった電話番号に連絡したところ奥様が受話。
宮司宅は近くで誘導するので電話を切らないでとのこと。
「そのまま楼門の東側に行って・・・」
「あぁ!見えなくなっちゃった! いまどこにいるの?」
「いま自転車が通ったでしょ その道の方に行って」
「東側よ? ホントにこっちに来てるの?」
「楼門あるでしょ 栃木県の重要文化財に指定されてる楼門!」
「見えた!いま玄関の前で手を振るから」
「田んぼの向こうに家が見えるでしょ? そこよ!」
見えた!(゚∀゚) お宅わかりました!ありがとうございます。いま向かいます。
・・・相手からは見えてるのにこちらからは見えない(?_?)
スナイパーに狙われてるようなスリルを味わったのはサバゲーやってた時以来ですw
あるいは操作されるドローンとかラジコンの気持ちがちょっとわかったみたいなw
てか、誘導中も「栃木県の重要文化財に指定されてる」とかさりげなく説明入れてくるのがまた素晴らしいwww
とてもいい奥様で、料理の神様らしくお供物として美味しそうなお煎餅も2つもいただいちゃいました♪
過去にも何度かありましたが、また300円の御朱印代じゃ見合わないようなお菓子をいただいてしまった・・・
こういう所はホント頭が下がりますねm(_ _)m
お供物いただいちゃった上に、奥様曰く「コロナで書き置きでごめんなさいねぇ」と・・・
とんでもねぇっす!(;゚д゚)
せっかくの料理の神様からの神饌なので、まだ食べず神棚と稲荷様に一枚づつ奉納
神社のしおり
料理の神様らしく鯉の洗いや鯉こくが上達するから・・・ではなく、境内に井戸を掘ったら鯉が出てきたので鯉の神様w
むしろここの氏子さんは鯉を食べるどころか鯉の描かれた器物を使うのすら禁忌だそうで、鯉のぼりも上げないそうです
交差点の門に立つ神社
例によって駐車場は参道中間くらいにあり、真の入り口は遥か先にあるのですが・・・
鯉・恋ロード? 私にゃ関係ないから今回は行かね(ーдー)ノ
・・・ orz
灯籠のズラリと並ぶ参道
参道途中に夫婦御神木
読めん(^^;
○雪供巻? なんのこっちゃ('_'?)
こっちは聖徳太子之碑
さすが式内社
楼門はスゴイわ(゜゜;)
もちろん随神もおられます
特にこの龍の彫刻がカッコ良かった☆
左手に神楽殿
料理の神様らしく包丁塚あり
下の台はまな板だな
拝殿
稲荷社以外で正一位付いてるの久しぶりに見たよ
御神体は金幣と鏡かな?
この下に記帳があって宮司さんの連絡先あり
昨日、水使神社でdisった記帳ですが、ここでは真面目に書き込んでみたり(^^;
本殿
意外にシンプル
やっぱり摂社末社は多いですね
これは天満宮
小祠群 祭神不明
三体セットなので宗像三女神か筒男兄弟辺りかな?
右から・・・
健田神社 タケダノオオカミ?
健速神社 スサノオ
東照宮 家康
春日神社 春日神
真剣神社 カッケェ!(*゚∀゚)=3
・・・ヤマトタケルだそうですw
後ろの摂社
右の2つは祭神不明
一番左は上宮神社 聖徳太子ですね
左側の摂社群
左の赤幣束はおそらく稲荷社かな
その横の少し大きめの摂社には宮廷風の簾が掛けられてました
一番大きい摂社
立派な社に御札が納められてました
田んぼの向こうにあるのが宮司さん宅
奥様が出てきて手を振って教えてくれましたw
たかはしじんじゃ
料理の神様を祭る神社で別名「鯉の明神さま」
として知られる
平安時代に境内で井戸を掘り鯉が現れそれを
霊魚としてあがためたと言う言い伝えがあるそうです
今も氏子は鯉を「鯉さま」と呼び鯉を食べたり
こいのぼりも上げない風習が続いてるそうです
夫婦御神木
楼門
楼門の上
楼門の上の龍の目が青い😻
手水舎
蛇口が並んでました
拝殿
神楽殿
本殿
恋❤鯉ロード
神社の氏子総代が鯉が住む千年池に続く参道
恋❤鯉ロードに看板をかねた門を設置
千年池
若者に来て頂いて神社で地域を盛り上げてほしいと
願いを込めて作られたみたいです
「料理の祖神」磐鹿六雁命を主祭神とする最も古い神社、創建景行天皇41年(111)と言われています。
ひゃくじゅういちねん〰!!聞いたことない!!(゚ω゚)
磐鹿六雁命は景行天皇が日本武尊命の東征の戦跡を巡視された時、膳臣としてお供をしていましたが、高齢のため、この地に残ったのだそうです。神話の世界のような、史実のような、ロマンいっぱいのお話しです。
岐阜の飛騨、恵北、金、飛騨高山の高椅神社の四社に分社されているそうですが、なんで、岐阜なんだろう、、
また長元2年(1029)井戸から大きな鯉が出て来て、不思議なことだと都に報告したところ、これは霊剣あらたかと、鯉を食しても、鯉柄の皿も使用してはならぬという「日本一社禁鯉宮」の勅額を賜った事から〝鯉の明神さま〟と呼ばれています。
鯉のぼりも上げちゃダメって、、
歴史は得意ではないけれど、こういう故事は食いついてしまいます❤️
楼門
立派な門です。修繕されたて、という感じです。
左大臣
楼門内部には奉納額があります。
アイスを食べている子供がいて、笑った。
包丁塚
拝殿
お参りして帰り時、楼門の一番上に龍の顔をした鯉を見つけました。
鯉、、だよね?
こちらは鯉です!
資料によると、神代文字の印(アヒルクサ文字)で珍しいとのこと。
たまたまおいでになった、奥様に書き置きを頂きました。
景行天皇41年(111)、日本武尊が東征の際に当地で国常立尊・天鏡尊・天萬尊を勧請し、戦勝を祈願したのが起源である。
景行天皇が日本武尊の東征の戦跡を巡視された際、膳臣であった磐鹿六雁命は老齢のため帝の許しを得てこの地に留まった。
天武天皇12年(684)、当地を支配した磐鹿六雁命の末裔・高橋氏が高橋朝臣の姓を授けられ、その年、当社に祖神・磐鹿六雁命を合祀して「高椅神社」と称した。
長元2年(1029)、境内に井戸を掘ったところ大きな鯉が出たので、これを都に報告したところ、時の後一条天皇は誠に霊異なことであるとして「日本一社禁鯉宮」の勅額を授けた。以来、当社氏子は鯉を食べず、鯉の絵が描かれた器は使わず、5月にこいのぼりも立てない。このことから当社には「鯉の明神」の別名がある。
高椅神社(たかはし~)は、栃木県小山市にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は磐鹿六雁命(いわかむつかり)、国常立尊、天鏡尊、天萬尊、配祀神は木花咲耶姫神・経津主神・高龗神・火産霊神・豊受比売神。料理の祖神・磐鹿六雁命を主祭神とする最古の神社。岐阜県に分社が4社ある。
社伝によると、景行天皇41年(111年)、日本武尊が東征の際、当地に国常立命、天鏡尊、天萬尊を勧請して戦勝祈願をしたのが始まり。景行天皇が日本武尊の東征戦跡を巡視した際、膳臣であった磐鹿六雁命は老齢のため、帝の許しを得てこの地に留まり、飛鳥時代の684年に当地を支配した磐鹿六雁命の末裔・高橋氏が高橋朝臣の姓を授けられ、当社に磐鹿六雁命を合祀し「高椅神社」と称した。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「下総国 結城郡 高椅神社 小」に比定されている。1029年、境内に井戸を掘ると大きな鯉が出たことを京に報告すると、後一条天皇が霊異と感じ「日本一社禁鯉宮」の勅額を授けた。以後「鯉の明神」とも称された。中世以後は、下総国領主の結城氏の保護を長く受け、特に結城秀康は越前福井に移封になった後も代参を欠かさず、明治維新まで続けたとのこと。
当社は、JR水戸線・結城駅の北北東5kmの、田んぼが広がる田園地帯の道沿いにある。大きな隋神門(たぶん昔の仁王門)があるのが特徴で、参道は長く、境内は広々。
今回は、(栃木県にあるが)下総国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中で、参拝者は自分以外には誰もいなかった。
境内南端入口にある<社号標>。鳥居はなく、代用で竹が2本立っていて、紙垂が付いた縄が掛かけられている。
長い参道に沿って、朱色の燈籠がたくさん立っている。
参道を進むと、やがて<隋身門>が大きくなってくる。手前には<高椅神社>の扁額が掛かった<青銅鳥居>。
参道右側にある<手水舎>。柱がかなり太いのが特徴。
隋神門は、赤をベースとしながらも、細かい彫刻に極彩色の彩色があったりして、なかなか美しい。
隋神門をくぐる。上の細かい彫刻も、守護神像の矢大臣・左大臣も発色がビビッド。塗り直して間がないのかな。
隋神門をくぐったところ。燈籠が続く。
参道右手にある<神楽殿>。
<拝殿>全景。なかなか大きなサイズ。
<拝殿>正面。装飾は少なくシンプル。質実剛健な感じ。
拝殿正面に掛かる扁額には、<正一位 高橋大明神>とある。あれ?<高椅(たかはし)>の漢字が違う?(^_^;)
斜めから<社殿>全景。
拝殿の後ろの<本殿>。拝殿に比してバランスとしてサイズは小さめだが、本殿だけ見るとしっかりした造り。
社殿の左手にある<境内社>。
社殿の右手にある<境内社>。
拝殿前から、<隋身門>を望む。裏側から見ても、きれいな彩色。
隋身門の内側に掛かっている奉納絵画類。
境内東側に立っている<夫婦御神木>。
境内の東方の景色。田んぼに浮かぶ林の中に宮司さんのお宅がある。御朱印はそちら。
手入れが行き届いた境内は気持ちが良い。(^▽^)/
高椅神社
結城七社の一つ「高椅大明神」
「鯉の明神」「料理の祖神」「日本一社禁鯉宮」など二つ名が多い
御朱印
神社から東北東約200m、畑越しに見える民家が宮司さん宅、でいただきました。
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