むなかたじんじゃ
胸形神社のお参りの記録一覧
田んぼに囲まれ、空気が過去のような感じがする神社です。万葉集に収められている当地出身の防人の歌が、ズシンと心に響きました。当たり前の生活を大切にしつつ、日々を最後と思い生きたいです。社務所は不在でしたが、記載されている宮司宅に電話したところ、15分ほどで直書きの書き置き御朱印を届けていただき感謝致します。
何故か九州宗像大社から勧請し、三女神、田心姫命、市杵島姫命、多岐津姫命をお祀りしています。三女神といえは、あの方を思い出すのですが、やっぱりお参りに来てましたわぁ。三女神だから豪華絢爛でさぞや美しいんでしょう、と思うのは筋違いの思い違いでありまして、実は自然豊かな場所にあり、どちらかといえば質素で質実剛健な雰囲気。ただ、「花桶かつぎ」の神事がありまして、御朱印から見るに、それは華やかなお祭りのようです。
手水に映る社殿を撮りたかったが、水道の蛇口も、しっかり写っていて興ざめ。
かまきりぃ
蝉のぬけがらぁ
由緒書き
防人の歌の石碑
こんな遠くからも防人として駆り出されていたんですね!
後ろを流れる巴波川の堤防まで行こうとしましたが、彼岸花が静かに芽を出し始めていたのでやめました。
連絡すれば御朱印は頂けるようですが、夕方で天候も怪しくなってきたので遠慮しました。
あら?
こんな内陸部に宗像三女神を祀った神社がある。しかも宗像大社の直系分霊らしく、御朱印や御札も授かれる!と聞いて、我が女神コレクションに加えるべく嬉々として行ってみましたw
当初は馬にまつわる駒形神社と勘違いしてて、なんで宗像三女神がおわすのだ?(・_・?)と不思議に思ったのですが、直前になって「駒形」ではなく「胸形」と気付いた(^^;
この辺りは寒川郷といって源頼朝の乳母の寒河尼にも所縁のある土地。
前の乙女八幡宮で書いたように、昔は思川・巴波川・渡良瀬川・利根川水系の船運盛んな土地で、またまさに洪水対策で作られた渡良瀬遊水地があるように水害も多かったので、海神の宗像三女神を祀ったのでしょう。
ちなみに合祀社のように天神社や天満宮もわりかし多く、船運を通じた九州方面との繋がりが偲ばれます。
無住ですが電話番号があり、連絡すれば宮司さんが来てくれると聞ていたので実際に架けてみたところ・・・
「10分くらいで行きます」
待っていたところ、なんと略式ながらワザワザ白衣を着て、御朱印道具の入った大きな風呂敷包みを持った宮司さんが本当に車で来てくれました!Σ( ̄□ ̄;)
御朱印も3種類なので、他の無人社のように全て書置きでも誰も文句は言わないと思いますが、わざわざ1人の参拝客のためにも御足労くださって丁寧に直書きしてくれる・・・感涙(;▽;)
写真の花桶かつぎ祭りの伝統維持も含めて、誠実な宮司さんや地域の方に厚く守られてる。
まさに神対応と呼ぶに相応しい。 この神社、間違いなくご利益ありますよ!(* ̄∇ ̄*)
胸形神社と合祀社の寒川天満宮の見開き
ついに宗像三女神もお迎え(*´Д`)
花桶かつぎのお守りも可愛かったので拝領
境内にはカタクリ(?)や菜の花が咲いてます
山は死にますか~♪
防人の歌の歌碑
手水舎
拝殿
本殿 後ろは巴波川の土手
ご覧のとおり、見た目は本当に田舎によくある小社なんですが、式内社ということもあってか、宮司さんや地域の方に厚く守られてる素晴らしい神社だと思います☆
忠魂碑
神輿蔵でした
御朱印は3種類
花桶かつぎ
数え年7才の女の子が、龍樹寺というお寺からこの神社まで花桶を持って稚児行列
最近は少子化で町外から女の子を借りてくることもあるとか
龍樹寺の方は今回ノーマークで行きそびれ orz
実は左の方に先端だけ写ってる丹塗りの破魔矢(花桶かつぎの絵馬付き)が欲しかったのですが、1000円だったので日和ってしまった(^^;
ちなみに中央の龍の勝守り、うちの産土神の一瓶塚稲荷で売ってるのと同じデザイン・・・まぁ守袋の製造元は限られてるみたいなんで被ることもあるよねw
胸形神社(むなかた~)は、栃木県小山市寒川にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。主祭神は田心姫命(たきりびめ)、配祀神は市杵島命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)。
社伝によると、崇神天皇の御代(564年~631年)に、九州の牟奈加多神社(宗像神社)の祭神を勧請し創建。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「下野國 寒川郡 胸形神社 小」の論社で、もう一つの論社として、栃木県小山市網戸にある「網戸神社」がある。中世以降は衰微したが、江戸時代末期の1844年に社殿を再建。明治時代の近代社格制度下では郷社に列した。なお社殿は、明治、大正、昭和戦前と、近隣の川(巴波(うずま)川)の氾濫の度、改修されてきたとのこと。
当社は、JR宇都宮線・間々田駅の北西5kmほどの、巴波川そばの畑作地帯にある。昔から風水害が多いようで、境内は木々が少ないが、御神木は川の氾濫をも耐えた樹齢300年の榎木。境内の大きさは小さめの郷社相当。境内に由緒などの説明書きが多いので、新参者には非常にやさしい。
今回は、下野國の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中、自分以外にも数人、御朱印目当ての参拝者が訪れていた。
※当社は普段無人社だが、社務所に宮司さんの連絡先の記載があり、連絡をすると宮司さんに来ていただけるので、御朱印を拝受できる。
境内東端入口の<鳥居>と<社号標>。社号標に刻まれた字が達筆過ぎて読めない...
解読可能な範囲だと「**式内*社 胸形神社」。「胸」の字が「ぎょうにん偏」に見える...(^_^;)
社号標の横の石碑にも社名が記載されていて、こちらは「郷社 胸形神社」とある。こちらも「胸」の字が「ぎょうにん偏」に見える。
鳥居をくぐって、参道左手にある<手水舎>。屋根の形が変わっていて面白い。
<拝殿>遠景。手前に見える、台座の高い大きな<狛犬>が目を引く。
<拝殿>全景。奥の<狛犬>は良い感じに年季が入っていて古そう。
<拝殿>正面。横長の大きな扁額、力強い注連縄、渋い色味の神社幕が全体の見た目を引き締める。
<社殿>全景。
拝殿後ろの<本殿>は、覆屋の側面に風よけにトタンが張り付けてあり、内部は見えない。
拝殿に向かって境内左手にある<万葉の歌碑>。『万葉集』の中に、当地出身の防人の歌があるとのこと。
社殿の右側にある、<忠魂碑>などの立派な石碑群。
鳥居をくぐって、すぐ右手にある<社務所>。当社は普段は無人社。
社務所棟の左側は<神輿庫>として使われている。
社務所棟の<授与所>には、御朱印のサンプルと宮司さんの連絡先が表示されている。
境内全景。境内の説明書きに、当社の御神木が樹齢300年のエノキの木とあったので、探してみるが見つからない。右側の太い2本の木かとも思ったが、注連縄は巻かれていないし、樹齢300年には見えない。
鳥居の右側の木には注連縄が巻かれているが、まだ細くて若い木だし...
最後に境内入口全景。社号標の後ろの木が、この境内では一番古そうなのでこれが御神木なのかしら? (^_^;)
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