まんぷくじ|曹洞宗|西光山
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満福寺の御朱印・御朱印帳
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御朱印帳 | - | ||
電話番号 | 0280-56-0133 |
最新の御朱印・御朱印帳の投稿
今度は熊野神社の左(西)にあったお寺です。
こちらは曹洞宗の寺院。
右側の光明寺は地元の大庄屋が開基したお寺でしたが、こちらは歴史上の大物に所縁のお寺。
なんと五代目鎌倉公方にして初代古河公方 足利成氏公の開基にして墓所のあるお寺でした!?Σ(; ゚Д゚)
関東管領上杉氏相手に関東中を転戦、享徳の乱を30年間戦い抜いた猛者中の猛者!
滝沢馬琴の南総里見八犬伝にも滸河公方 足利成氏として登場する人物 (史実での成氏の読みは「しげうじ」、八犬伝では「なりうじ」)
戦国時代の始まりは全国的に見ると応仁の乱からと言われてますが、関東ではもっと早く、上杉禅秀の乱、永享の乱、結城合戦、享徳の乱などが続く乱世に突入!
・・・どんだけヒャッハーだったんだ坂東武者(;´Д`)
小田原北条氏の台頭と上杉謙信の関東侵攻が始まる前は、関東の小豪族は古河公方を盟主として、概ね利根川を境に関東を二分して関東管領山内・扇谷両上杉氏と争っていました。(江戸時代以前の利根川は東京湾に注いでいた)
そんなワケで戦国前期の関東を知るうえで古河公方家は外せない存在です。
御朱印は住職不在で書き置きでした。
庫裏を出たところでちょうど御住職が帰られたところらしく「ご苦労様です」と声を掛けていただいたのですが、意外なことに住職は尼僧様!?Σ(; ゚Д゚)
法事か葬儀の帰りだったらしく、立派な袈裟を着たうえ、しかも手には三鈷杵のような法具を持った完全装備!
スゲーカッコ良かった。。。(*´Д`)
まるで古河公方家最後の姫、氏姫こと徳源院様が顕現されたかのようでしたw
こちらも住職不在だったため書き置き
ここの御朱印は年月日が入ってなかったので、自分で書いたのですごいヘタクソ(^^;
熊野神社前から
こちらは神社の隣ではなく少し離れてます
突き当たりの水色屋根の家の前を右に曲がった所
連歌師 猪苗代兼載にちなんで昭和30年に植えられた桜
残念ながらすでにほぼ葉桜(ノ∀`)
山門 ・・・おや?(・_・)
なんと山門に鐘が吊り下げられてる!?Σ(゚Д゚;)
理由不明、江戸時代の火災で鐘楼が焼失か?
安全のため普段は突き棒が外されてるようです
ここも境内は広くてキレイなお寺
端の方はチューリップなどが植えられた庭園
左にあったお堂から拝んでみます
「施無畏」とあるので観音堂かな?
本堂から続く方丈も立派
本堂
ん?本堂前になにかお飾りが・・・(゜゜)
おお!昨日が灌仏会だったのか(・∀・)
1日遅れですがせっかくなので私もシッダールタ君の誕生をお祝いします♪
お線香も用意されてたので焼香
ハッピーバースデー♪ リトルブッダ!
釈迦といふ いたずらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな 一休
一人で撮影しながら茶掛けするの難しい(>_<)
さっそく迷はされたわw
町指定重要文化財の阿弥陀如来の板碑
栃木県最古とのこと
観音堂の手前を回って墓地の方へ
成氏公のお墓を探してみます
墓地の方は芝桜が満開
墓地の隅の八重桜
お寺の隣は渡良瀬遊水池の土手
墓地の中程に・・・ありました!
足利成氏公の墓所
やっぱ公方様の戒名は院殿号付きの大居士なんだな・・・
うち? 大してお布施払ってないので最低ランクの信士・信女ですわ(ノ∀`)
ここも目の覚めるような芝桜
こちらは連歌師の猪苗代兼載の墓所
御利益は成氏公が勝負運で、この方は芸能とか技芸上達にしようかと思いましたが、ホトカミにカテゴリ自体がなかった(^^;
連歌とか俳句に関係する寺社は広い意味で学業成就でいいか?とも思いましたが、ちょっと違和感が・・・うーん(ーωー)
こちらはほとんど読めなかった(*_*)
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