あさぬまはちまんぐう
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楽しみ方浅沼八幡宮のお参りの記録一覧

2024年に近くに住んでいたのでご挨拶に伺ったら例大祭の日でした(呼んでくたさったのかな、と感じました) あいにくの雨模様の中子供達を集めて抽選会をやったりしていました


普段は提灯ないですw




右手が八幡様の拝殿・本殿です 左の建屋には境内社が2社

拝殿から


境内社

境内隣の敷地にあるお地蔵さまのいらっしゃるところ

扉が開いているのは珍しいので中を撮らせていただきました


本日最後の神社です。神職常駐はしていませんが御朱印は拝殿前に用意されています。旧阿曽沼城の一画に建てられた歴史ある神社さんです。
佐野氏一族の阿曽沼四郎広綱が寿永元年(1182)、阿曽沼城を築城し、その頃神社の建立もされたらしい。
広綱は藤姓足利氏、足利有綱四男で佐野氏の祖である佐野基綱の弟でこの地に移り阿曽沼の姓を名乗りました。同じ足利氏と云っても足利尊氏は源姓足利氏で全くルーツは異なります。
城は平城で現在は土塁や空堀が残っていますが、そこまでの城マニアではないので確認はしませんでした。

鳥居

八百年祭記念碑

参道

燈籠

手水舎

手水盤

平成十四年(2002)奉納の燈籠


阿曾沼城築城者、阿曽沼四郎廣綱説明板

茅の輪

昭和五十三年(1978)奉納の狛犬



燈籠

拝殿

扁額

御朱印

本殿


境内社 左から稲荷神社・金山神社・大塔宮社・前之宮神社・冨士神社


境内社 三峯神社



境内社 正一位七社大神宮


扁額


寛政十一年(1799)奉納の燈籠


おしどり塚歌碑


「日くるればさそひしものを安蘇沼のまこもがくれのひとりねぞうき」とあり、裏面には天保二年(1831)とあります


久しぶりに写真撮らせて頂いたので投稿しました 拝殿の大札が巳年に変わっていました

拝殿、社務所は無人ですが灯はありました


疫病退散!

例大祭でした 子供がたくさん集まって賑やかでした 出店はないけど神輿担ぎはあった様です(直接見ていないので写真ありませんが)

普段は提灯はありません

参道でも遊んでいる子供がw

左奥に子供達が大勢遊んでいました

御神燈の垂れも普段はありません

普段は閉められている扉も開けられていて拝殿内が見られました

1182年、浅沼に平城を築き城内に八幡宮を建立し、氏神、守護神としたのがはじまりです。
長い間、地元の方々の信仰を集めてきた場所のように感じます。
綺麗に整備された境内と見上げる木々に圧倒されました。

拝殿
書き置きの御朱印が用意されています。


鳥居からまっすぐ伸びた参道の脇の石灯籠

末社

お城があったみたい。

神社の後ろにはお堀の跡がありました。

おしどり塚のお話

おしどり塚

おしどり塚の後ろは大変立派な大木げあります。
爽やかな風にゆさゆさと葉をゆらして見事です。


阿曽沼城という城跡に立つ神社。
おしどり夫婦の由来となったおしどり塚の伝説もあり。
なにげに書置き御朱印があるという情報を得て行ってみました。
佐野氏の一氏族 阿曽沼氏が領した城で唐沢山城や佐野城の支城でしたが、佐野家最後の当主 佐野信吉が狸オヤジ家康から因縁つけられて改易の憂き目にあい、本城とともに廃城に(ノД`)
また昔 佐野付近は沼や池がアチコチにある水郷だったそうで、この辺りに阿曽沼という沼があり、これが氏族名やおしどり塚伝説の由来だそうです。
浅沼という現在の町名も阿曽沼が訛ったものとのこと。
おしどり塚といえば宇都宮市にも伝承があるそうですが、佐野市の伝承の方がおしどりを狩った鷹匠の名前など具体性があるので、地元贔屓もあって私はこちらが本家だと信じますw







本当にありました\(^^)/

境内社 正一位七社大神宮


窓から撮影


おしどり塚の伝説、悲しいお話です


摂社 後ろに城の堀の遺構が残ってます

三峯神社
三つの峯を表してるのか、ミニチュア祠があるのが面白い

摂取 末社群

正一位七社大神宮の由来も書かれてました
護良親王の伝説や逸話は日本各地にあるようなので信憑性は別として、無人社なのに書き置き用意してあったり、境内社の由来まで紹介しているところに好感が持てます。
栃木県のおすすめ2選❄️
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