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佐野あかぎじんじゃ

佐野赤城神社のお参りの記録(1回目)
栃木県佐野市駅

投稿日:2019年03月03日(日)
創建不詳。『彦狭島王命』は豊城入彦命の孫にあたり、景行天皇から東山道一五国都督に任命されましたが、景行天皇13年(113)に東征の途中で病死してしまい、その遺骸を引き取り祀ったのが始まりで、
天慶8年(945)に遷宮した際に群馬県前橋市富士見町の赤城神社を勧請し、その時に社名を狭島から赤城明神に改めたそうです。

藤原秀郷が平将門の乱を平定したあとに武具を奉納したと伝わり、社殿奥の「四ツ塚」という所に「具足山・白旗山・幕山・差物山」などの地名が残っていて、また日本武尊が東征の際、この地に一泊したとも伝わっています。

鳥居は高さ405cm、周囲151cm。天明の鋳物師、丸山善太郎毎昭と同甚太郎易親によって明和6年(1769)に造られた銅造鳥居です。(市指定文化財)

そして天明鋳物で作られた明和8年製(1771)の天明鋳物銅製神鈴が拝殿前にあります。(市指定文化財)この鈴は、鈴の中に鈴がある二重構造になっていています。
現存する天明鋳物製鈴は全国的にも稀少で、中でも最大最古の作品とのことです。実際に振ることができます。

戦時中には終戦末期の昭和20年に、佐野市内の国民学校や寺社に関東軍の戦車連隊が配属になり、本土決戦に備えて、この神社にも戦車12輛、装甲車3輛が隠蔽されていたそうです。
その中の第3部隊の小隊長、福田定一少尉が作家の司馬遼太郎さんだそうです。その為に司馬さんの作品には佐野市がたびたび登場するとか

御朱印は社務所(ご自宅)の呼び鈴を鳴らして頂く事が出来ます。
佐野赤城神社の鳥居
銅造鳥居
佐野赤城神社の建物その他
佐野赤城神社の建物その他
天明鋳物銅製神鈴
佐野赤城神社の本殿
佐野赤城神社の建物その他

すてき

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