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岩崎八幡宮
栃木県 多田駅

岩崎八幡宮について

佐野氏の支城の一つ、岩崎城跡に立つ神社
木曾義仲の遺児、木曾義高が創建したという伝説が伝わる

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くし
くし
2025年02月19日(水) 04時04分37秒
1703投稿

当初の予定では、このまま御所ノ入から北の山奥の方に進み、名馬 池月・磨墨の伝説や、根本山信仰の痕跡が残る飛駒・閑馬方面を探索してみようかと思ってたのですが、出てきたのがお昼頃だったので時間的余裕がなく、範囲も広範なのでとても巡り切れないと判断し断念😣

代わりに前回、進入不可だと思って入れなかった義高公ゆかりの岩崎八幡宮にリベンジ参拝してみることにしました😤 今回は何の躊躇もなくゲートオープンして進入w
周りがガッツリ獣避けで囲まれてるので、ガサガサ音がするたび猪🐗や熊🐻を連想してビビったのですが😱💦鳥以外は特に現れず🦅杞憂に終わるw

広くて立派な石段を上がるとそこには・・・す、すげぇ‼️😳
ホントにここ無人社か⁉️と思うようなキレイに整えられた境内と立派な社殿✨ ・・・なるほど、無人社なのに意外にネットとかでよく取り上げられてる理由が良くわかったわ💡💧

てゆーか無人社にしとくのホントに惜しいわ😖 これより小さくて粗末な有人社だっていくらでもあるのに・・・ったく!ホント地域格差とか過疎化とか東京一局集中ってやつは😫💨
寺社は日本中にありますが、御朱印だけに限定すると、やはり有人社の多い都会の方が圧倒的に有利なので、他のコレクション系趣味と同様に時々マウント取られてるような気分になってイラっとくることがあるんだよね💢www

・・・ともあれ、こんだけ立派な神社も建てられて敬われてるってことは、やはり佐野の義高公生存伝説は信憑性があるのかもしれません👍w

ちなみにある資料では、岩崎八幡宮の西側に「立派な玉垣付きの鹿島神社」があるとの記述があったのですが、これがどうしても見つけられず🔍️💫
神社の所在地として記載されていた住所は、ここから少し西にある「ゴールド佐野カントリークラブ」というゴルフ場のものになってまして、そのすぐ向こうに例の遥拝殿付きの戸奈良町の鹿島神社があるので、おそらくそこと混同されてるのではないかと思います。

岩崎八幡宮(栃木県)

一の鳥居は神社からやや離れた所、佐野の作原方面の山奥に向かう幹線道路沿いにあります

岩崎八幡宮(栃木県)

神社前の神橋に車を駐車🚙
ゲートに切れ目がないためどうやって開けるのか❓️としばし悩む💫

岩崎八幡宮(栃木県)

なんと観音開きではなく片側に全開する方式でした❗😳
一応端に車輪は付いてるけど、轍が付いてるのでやや持ち上げたりした💦

岩崎八幡宮(栃木県)

駐車場はゲート内にあるので、そのまま車で乗り入れる
駐車場横には忠魂碑

岩崎八幡宮(栃木県)

鳥居の右側には庚申塔が並ぶ

岩崎八幡宮(栃木県)

ニの鳥居

岩崎八幡宮(栃木県)

広めでシッカリとした階段が続いてます

岩崎八幡宮(栃木県)

階段右側には磐座のようなものが聳える
これが「岩崎」の地名縁起かもしれない

岩崎八幡宮(栃木県)

磐座場にも何か祀られてるようです

岩崎八幡宮(栃木県)

四角い石碑のようであるが何だかわからず💫

岩崎八幡宮(栃木県)

近くにもう一つ小さい石碑があり拡大したところ富士講マーク🗻
とするとこれが岩長姫で、角柱の方は木花咲耶姫の浅間神社かも?

岩崎八幡宮(栃木県)

磐座から後ろに続く岩上にも石碑

岩崎八幡宮(栃木県)

参道反対側にも記念碑と歌碑らしきもの

岩崎八幡宮(栃木県)

階段を上りきると・・・おお‼️😳

岩崎八幡宮(栃木県)

右の狛犬

岩崎八幡宮(栃木県)

別の時代に奉納されたと思われる小さい狛犬も二つあります

岩崎八幡宮(栃木県)

左の狛犬
苔が被って爪がリアルになってる✨

岩崎八幡宮(栃木県)

左の小狛犬

岩崎八幡宮(栃木県)

手水舎

岩崎八幡宮(栃木県)

神楽殿と古い社務所
山の神社ですが広い境内は綺麗に掃除されてます✨

岩崎八幡宮(栃木県)

社殿はかなり立派
かなり大きな覆屋が付いてるので迫力がある

岩崎八幡宮(栃木県)

控えめですが彫刻も見事🌟

岩崎八幡宮(栃木県)

年経た扁額

岩崎八幡宮(栃木県)

小窓から拝殿内を見てみましたか、ここは扉が閉じられてて、御神体の木曾義仲公の守り本尊だったと伝わる応神天皇像は見れず😭

岩崎八幡宮(栃木県)

右側から本殿を一周してみます
幣殿から本殿に続く廊下の磨りガラスが昭和チックw

岩崎八幡宮(栃木県)

ここも佐野・田沼の神社の例に漏れず本殿彫刻が素晴らしい✨️
右面の題材は「神宮皇后と武内宿禰」だそうです

岩崎八幡宮(栃木県)

背面は「須佐之男命の八岐大蛇退治」🐍
後ろに奇稲田姫も彫られてる

岩崎八幡宮(栃木県)

左面だけは中国の故事で「黄石公と張良」
張良が名軍師となるキッカケとなった太公望兵書を授けられた場面だそうです

岩崎八幡宮(栃木県)

境内の右端に摂末社が纏められてる

岩崎八幡宮(栃木県)

合祀社の外に白山神社と祭神名のない石祠
資料を見ると稲荷神社が一社あるそうなので、これがそうかもしれない

岩崎八幡宮(栃木県)

合祀社の方はありがたいことに全て社名付き👍
三王神社というのは山王神社のことかな?

岩崎八幡宮(栃木県)

本殿左側にも社が一つ
これが鹿島神社かとも思ったんだけど、単なる神庫かな?

岩崎八幡宮(栃木県)

関東ローム層がハッキリとわかる崖
岩崎城には弓矢射場の跡があるとのことなので、もしかしたらこれがそうなのかも🎯

岩崎八幡宮(栃木県)

左後ろに山道が続いてましたが、特にどこかに通じてるわけでもなく、単に車で上がってくるための道らしかった💫

岩崎八幡宮(栃木県)

最後はちゃんとゲートを閉めて帰ります👍
右側のゴムバント2本で施錠🔐

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くし
くし
2025年01月04日(土) 17時29分14秒
1703投稿

過去にも何度か触れましたが、佐野の地には木曽義仲の嫡子 木曾義高は武蔵の入間川原では死んでおらず、佐野氏初代当主の佐野基綱を頼って落ち延びたという伝説が伝わっております。
ここはその義高公が創建したという神社、しかも御神体が義仲公の守り本尊だったという応神天皇像!?
(; ・`д・´) ナ、ナンダッテー!! (`・д´・ ;)

【木曾義高生存説】については基本情報に記載しましたので興味ある方は御参照ください☝️
佐野に落ち延びた義高公は、佐野氏初代当主の佐野基綱公より岩崎城を与えられ、名を岩崎義基と改め、後に基綱の娘を娶り佐野一族になったと云われています。
この「岩崎義基」という人、生没年や経歴などがほとんど不明なのですが、岩崎城・御所入城・清水城など佐野西部に多くの所領与えられ、西佐野殿と呼ばれ佐野家中では相当な厚遇を受けていたという謎多き人物㊙️❓️

「鎌倉殿の13人」で若き義高公の死を見て涙した方々、大丈夫👍義高公は佐野の地で穏やかな余生を過ごし天寿を全うしましたよ👴👼w

以前行った佐野房綱公の墓のある報恩寺なども義高公の開基と伝えられてまして、何よりウチの菩提寺の興聖寺のある清水城も佐野基綱または子の国綱公が義高公のために築城したと伝えられている!🏯 なのでこの伝説は個人的にも非常に興味があるので時々追ってます🔍️ いずれ自分も眠る墓地に住んでたかもしれない殿様ですからねw

さてそんな感じでドキをムネムネさせながら現地に向かったのですが・・・は、入れん😫
ご覧のようにご覧のように周囲がイノシシ避けフェンスにビッシリ囲まれてて浸入不可🚧🔒️ 仕方なく諦めて帰りました😭

・・・家に帰って調べたら、普通にフェンス開けて入れたらしい! orz
かなり見事な彫刻があるらしく、それ目当てに行ってる人も結構いた(^^; 悔しいのでいずれここは必ずお礼参りに行って落とし前つけます🙏www

岩崎八幡宮(栃木県)

神社から少し離れた所に一の鳥居

岩崎八幡宮(栃木県)

ところが・・・
現地に着いてみたらシシ避けフェンスに囲まれてて入れん!😫

岩崎八幡宮(栃木県)

なんとなく開けられなそうなフェンスに見えたので諦めて帰ってしまいましたが、実は開閉できたらしい・・・orz
直近も含めて結構行ってる人がいたので、自分もそのうち必ずリベンジ参拝します(^^;

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写真

岩崎八幡宮(栃木県)
最後はちゃんとゲートを閉めて帰ります👍 右側のゴムバント2本で施錠🔐
岩崎八幡宮(栃木県)
左後ろに山道が続いてましたが、特にどこかに通じてるわけでもなく、単に車で上がってくるための道らしかった💫
岩崎八幡宮(栃木県)
関東ローム層がハッキリとわかる崖 岩崎城には弓矢射場の跡があるとのことなので、もしかしたらこれがそうなのかも🎯
岩崎八幡宮(栃木県)
本殿左側にも社が一つ これが鹿島神社かとも思ったんだけど、単なる神庫かな?
岩崎八幡宮(栃木県)
合祀社の方はありがたいことに全て社名付き👍 三王神社というのは山王神社のことかな?
岩崎八幡宮(栃木県)
合祀社の外に白山神社と祭神名のない石祠 資料を見ると稲荷神社が一社あるそうなので、これがそうかもしれない
岩崎八幡宮(栃木県)
境内の右端に摂末社が纏められてる
岩崎八幡宮(栃木県)
左面だけは中国の故事で「黄石公と張良」 張良が名軍師となるキッカケとなった太公望兵書を授けられた場面だそうです
岩崎八幡宮(栃木県)
背面は「須佐之男命の八岐大蛇退治」🐍 後ろに奇稲田姫も彫られてる
岩崎八幡宮(栃木県)
ここも佐野・田沼の神社の例に漏れず本殿彫刻が素晴らしい✨️ 右面の題材は「神宮皇后と武内宿禰」だそうです
岩崎八幡宮(栃木県)
右側から本殿を一周してみます 幣殿から本殿に続く廊下の磨りガラスが昭和チックw
岩崎八幡宮(栃木県)
小窓から拝殿内を見てみましたか、ここは扉が閉じられてて、御神体の木曾義仲公の守り本尊だったと伝わる応神天皇像は見れず😭
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岩崎八幡宮の基本情報

住所

栃木県佐野市岩崎町1682−1

行き方
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名称

岩崎八幡宮

読み方

いわさきはちまんぐう

詳細情報

ご祭神《主》譽田別命
《合祀社》浅間神社・熊野神社・天神宮・諏訪神社・三王神社・山神社・雷電神社・愛宕神社
《摂末社》白山神社・稲荷神社
ご神体

応神天皇像(伝 木曽義仲守り本尊)

創建時代

不詳 文治4年(1188年)以降

創始者

岩崎義基(木曾義高?)

ご由緒

文治元年(1185年)佐野有綱が岩崎城を築く。
文治4年(1188年)新たに佐野一族になった越前守義基(義高)が城主となって岩崎氏を称し、木曽義仲の守り本尊の応神天皇像を御神体とし、岩崎氏の氏神として奉祭し創建。
明応八年(1499年)岩崎氏移転に伴い村の神社となる。
明治四十二年(1909)稲荷神社,八坂神社を合祀。

【木曾義高伝説】
寿永3年(1184年)木曽義仲は源頼朝の追討軍によって近江の粟津で討たれた。
木曽義仲の嫡男、木曽義高(清水冠者義高)は、11歳の頃に人質として頼朝の長女 大姫の婿として出され鎌倉にいたが、義仲討死により立場が悪化する。
頼朝が義高を誅殺しようとしているのを知った大姫の手引きで義高は密かに鎌倉を脱出するが、逃亡を知った頼朝は激怒して追手を派遣し、義高は武蔵国の入間河原で捕らえられて討たれた。
しかし当地佐野には、実は入間河原で討たれたのは宇野平八という者が身代わりとなって、義高は佐野基綱を頼り落ち延びたという伝説がある。
義高は佐野基綱に匿われ、後に基綱の娘を娶り、岩崎城に住し佐野(岩崎)越前守義基と改めて佐野家に仕えたという。
晩年は山形御所ノ入に館を構え、妙法寺を建てて祖先の霊を祀ったという。 さらに承久2年(1220年)北条政子が御所ノ入の義高を密かに訪ねて逗留したとも伝えられる。
御所ノ入には義高と妻の墓と伝えられる石塔が残る。
また佐野の旧家に伝わる古文書にも「木曽ノ直伝」と書かれたものがあるという。

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