たじまいなりじんじゃ
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田島稲荷神社について
小さなお稲荷さんだが、終戦時の総理大臣 鈴木貫太郎の母が篤く信仰したとのこと。
創建者の小野寺禅師滝口入道義寛は、佐野の数々の神社縁起となっている藤原家綱公を讒言した小野寺民部のモデルらしい。
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先日、群馬で腰痛めて帰ってきて😖⚡当面どこも行けそうにないので、将来行くかもしれない近隣寺社を調べてたり追加登録したりと、安楽椅子探偵的な寺社活をしてのですが😅🔍️✏️
Google Mapを眺めてたら、比較的近くにこれまで見当たらなかった神社が新たに登録されてるのを発見🗺️🔍️❗
写真を見ると・・・あぁ祠レベルか💨こりゃスルーでいいな😞と思ったものの、神社案内板の写真を見たところ・・・
「海軍大将 終戦時内閣総理大臣 鈴木貫太郎の母が幼少のころから信仰」
なにぃ⁉️Σ( ̄□ ̄;)
このような文言が目に飛び込んできて、俄然興味が湧いたのでリハビリも兼ねて調査に行くことにしましたw
家を出ようとしたら・・・うっ!いきなりの天気雨🌦️しかも思いっきり晴れてるのに本降りに近い奇妙な天気☀️🌧️
これは「来んな!」ってことかな?💧と躊躇したものの・・・いや待てよ?ここは稲荷社・・・狐の嫁入り⁉️🦊👰瑞兆だ❗(°∀°) ということですっ飛ぶことに🚗💨w
以前行った孫文の元奥さんのお寺もそうだったけど、足利って歴史上の人物そのものではなく周辺人物ゆかりの寺社がなんか多いな😅www
鈴木貫太郎といえば、本土決戦🗾一億総玉砕✊️とかガイキチなこと言ってた東條英機や陸軍を欺きつつ、終戦への道筋を付けた人ですからね。
二・二六事件を間一髪で生き延びれたのも、もしかしたら母上様の信仰してたこのお稲荷さんの御加護があったのかもしれません・・・とすると、ある意味日本を救ったお稲荷さんか?🇯🇵(;°Д°)
神社縁起を見ると「小野寺禅師滝口入道 義寛」という人物の創建となってますが、この人は佐野の多数の寺社縁起になってる藤原家綱公の伝承で、この家綱公を讒言して大宰府に流罪させた「小野寺民部大輔」だと言われてます。
実際には義寛自身が家綱公の孫娘を娶ってたり、世代が二~三世代違うのであくまで伝承ですがw
この手の伝承で悪役側ゆかりの寺社が見つかるのも結構珍しいかも👿www
神社自体はご覧のとおり屋敷稲荷か?🏠️💧と見紛うような小さな祠で、実際に住宅地の中の、どう考えても人の家(看板にある子孫の家?)に入ってしまうような解りづらい所にありました💫
参拝中は全く気付かなかったのですが、実は周りの庭園で庭仕事してる人(ご子孫?)がいて、神社出たあとなんか怪訝そうな顔でガン見してた(^^;
まぁ案内板を見る限り「記憶を末代まで残したい」そうですし、Google Mapにも載ってるので一般の参拝者が拝んでも問題ないっしょ🙏www
小さいお稲荷さんながら、日本史そのものと郷土史の重要人物、両方に所縁のあるなかなか面白い神社でした👍
場所がややわかりづらく、住宅地の中の民家に続く行き止まりにあった💧
ご子孫の家業なのかわからないが、周りは花木の育成場のようになってた
神社自体は屋敷神のような小さな祠
Wikipediaで鈴木貫太郎や鈴木由哲について調べると、親・子・兄弟などの名前は出てくるが、なぜかこの「きよ」さんの名前だけが全く出てこない💫
きよさんが奉納した眷族
実はこの前に近くの寺にも寄ったので、小銭がなくお賽銭あげられなかった😂
石で神札が押さえられてました
どこのお稲荷さんのお札だろ?
御神体は木札
こちらは「伏見」と書いてあったんだけど、京都の伏見稲荷大社か、それともどこかの伏見稲荷神社かはやや暗くて判別できず
名称 | 田島稲荷神社 |
---|---|
読み方 | たじまいなりじんじゃ |
詳細情報
ご祭神 | 《主》稲荷神 |
---|---|
ご神体 | 伏見稲荷の木札 |
創建時代 | 建久元年(1190年) |
創始者 | 小野寺禅師滝口入道 義寛 |
ご由緒 | 古文書によると、鎌倉時代初期1200年頃、下野国都賀郡小野寺村から渡良瀬川に面する小高い丘である当地に、川崎城を築いた義寛(小野寺禅師滝口入道)が場内に薬師寺を創建、場内に稲荷を祀る。
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体験 | 武将・サムライ |
Wikipediaからの引用
概要 | 小野寺 義寛(おのでら よしひろ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の武将。 下野小野寺氏の祖。『住林寺本尊胎内銘』には、「大法師義寛」とあり、入道名と思われる。諱は道成、若しくは道房。 |
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引用元情報 | 「小野寺義寛」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%AF%BA%E7%BE%A9%E5%AF%9B&oldid=103485510 |
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