りょうしゃじんじゃ
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両社神社について
日光例幣使街道沿いに建つ。
大黒(大己貴命)・恵比寿(事代主命)を祀るため「両社」
なぜか新田義貞公も祀られているが由来不明、本殿の彫刻の一面には稲村ヶ崎での太刀投げ入れの場面が描かれている。
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この辺りには二つの三柱神社の他に、二柱神社というのもあって、できればそこも拝みたかったのですが、駐車場が見つからず断念 orz
そこで今回はもう少し東にある両社神社というのを拝んでみることにしました。
ここは佐野と足利を繋ぐ幹線道路沿いに建ってて、子供の頃から前だけはもう数えきれないくらい通ってるんですが、拝むのは初めて(^^;
創建年代は元慶元年(877年)という非常な古社。 しかしここは紀年しか出てこず由緒が全くわからない(*_*;
そこで例によって歴史から推理してみることに。
まずこの辺りでこの年代だと真っ先に疑うのは藤原秀郷ですが、ここは秀郷公の生年でもっとも古い説の仁和元年(885年)よりも8年も早く、秀郷公創建は成り立たない( ´・ω・`)
そうなると父上の藤原村雄公の創建かな~? 一応、総社八雲神社なんかもこの方が建てたという別伝があるみたいですし・・・
この神社でもう一つ謎なのが、なぜか新田義貞公も祀られてること(・・;)
当然ながら創建時にはまだ生まれてもいないので、神社の歴史のどこかで合祀されたワケですが・・・
まず足利家は宿敵の義貞公は絶対に祀らないと思うので(御霊信仰で祀った可能性もなくはないが)、早くても足利荘の支配が長尾家に移った室町後期以降ではないかと。
・・・やっぱり義貞公の子孫を称する太田の由良氏から長尾氏に婿養子に入った顕長公あたりかな? あの山姥切国広のオーナー、とうらぶ的にいうと審神者ですねw
ただ、さすがに足利の中心付近の神社に義貞公を祀るのは、国人とか足利普代の臣の反発を招いたと思うので、こんな佐野領に近い一番外れの神社にひっそりと祀ったんではないかと思いますwww
神社入口
前は旧国道50号、ちなみに少し手前で合流してるので日光例幣使街道でもあります。
鳥居
境内左側に摂社群
どれがどの神様の社に該当するかはわかりませんが、基本情報に載せたように四社くらいは祭神が判明してる
馬頭観音らしき石仏も一体
一番大きい石祠には「象頭山」の文字
これでこの社は琴平神社と判明
右手の方にも塚か石組が見えましたが、こちらは藪のため近付けず
玉垣に囲まれた社殿
拝殿内は暗くてよくわからず
本殿彫刻の写真撮り忘れたのでネットから拾ってきました(^^;
まずこの面は西王母
反対側は馬師皇という名医が龍を治療してる図らしい
そして問題の背面がこれ
新田義貞公が稲村ヶ崎で剣を海に投げ込む場面
両面が中国の故事なのに、なぜか背面だけ日本の故事
なんとしても義貞公を入れたいが、大っぴらにはできないので背面に・・・というような意志が感じられますねw
名称 | 両社神社 |
---|---|
読み方 | りょうしゃじんじゃ |
詳細情報
ご祭神 | 《主》大己貴命・事代主命 《配》新田義貞霊 《境内社》雷電神社・八坂神社・琴平神社・愛宕神社 |
---|---|
創建時代 | 元慶元年(877年) |
創始者 | 不詳 |
ご由緒 | 元慶元年877創建とされる。
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体験 | 武将・サムライ |
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