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らいでんじんじゃ

雷電神社(助戸東山町)
栃木県 足利駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
なし

なし

雷電神社(助戸東山町)について

足利市街地に聳える助戸東山に鎮座する雷電神社

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くし
くし
2025年02月10日(月) 22時46分47秒
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【突撃!助戸東山登拝⛰️頂上作戦】
墓場から転落し負傷するも、なんとかハイキングコース入口の古墳まで這い上がる😖 上のベンチでしばし様子を見、進むか引き返すか思案😓💫

ここからは尾根道なのでそれほどキツくもなさそうなのと、人間は衝撃的な体験をすると脳内麻薬的なものが出るようで、怪我した直後の方がかえって痛みを感じなかったので、当初の予定通り雷電神社も拝んでくことに😤
何より不思議と腰痛に直結しなかったのが決定打だったと思います⚡⛔w
尾根道を進むこと5分くらい、雷電神社まではわりとアッサリ辿り着けました👍

由緒に記したように、藤姓足利氏最後の当主 忠綱公による古い創建説と、江戸時代後期の館林藩主 秋元氏による伝承が伝わってます。
後者の伝説には、遠く邑楽郡板倉町の雷電神社総本宮も出てきますが、雷雲が発生したのが総本宮ではなくこの助戸東山とされてるのが面白い⛰️⛈️
さすがに江戸後期ともなると伝承にも気象学的な知見が取り入れられてるようで、全くの平野部の板倉ではなく、山がちな足利で発生したことにして説得力持たせてるんでしょうね😁w
ちなみに足利市のやや西の山間部にも板倉町という地名があり、そこも狭い範囲に雷電神社が三社もあるという雷神信仰のメッカで、雷電神社総本宮との繋がりが偲ばれます。

さて、これで一応雷電神社参拝の使命は果たせましたが、この助戸東山には雷電神社の奥の院もあるらしい・・・コンディションが万全ではなくなったので、奥の院まで行くか迷ったのですが、また助戸東山に登りに来るのが面倒なのでこの機会に強行軍することにしました😅

・・・後半へ続く(byキートン山田)

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

参道は下山時のみ通ったので実際の時系列的には一番最後ですが、とりあえず表参道から登った見立てで鳥居からご紹介⛩️

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

位置関係としてはこんな感じ

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

LA山火事が記憶に新しいですが、コーエーとタイアップした数年前の足利大山火事の警告ポスター
あれ原因がハイカーのタバコポイ捨てらしいからね😣🚬

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

表参道の方は下から上まで全て階段
段数は数えてないが間違いなく百段以上はある💧

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

雷電神社までの距離は近いがハイキングコースの尾根道よりこっちの方が疲れるかも💦

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

途中、休憩ベンチも二ヶ所あり💨

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

雷電神社前に到着😵💨

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

・・・さて時間を巻き戻して、墓場で負傷してなんとかハイキングコースまで這い上がったところから😭

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

登山前から心が折れかけ行くか帰るか迷うも、尾根道の方はそれほど大変でもなさそうだと判断し雷電神社行きを強行😖💦

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

しばらく進むと開けた所に休憩所の東屋

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

鏡岩荘という御大層な名前が付いてるらしいw

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

鏡岩荘の一段上に雷電神社の社殿

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

こういう造り
山の神社によくある、拝殿の中に入って本殿を直接拝むタイプ

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

格子の扉の奥に本殿

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

本殿には新しい榊が上がっている
壁の奉納額などを見ると地域信仰は篤い様子🙏

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

本殿に取り付けられた狛犬
小さいけどなかなか凝ってる✨️

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

反対側

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

本殿前からの眺め
館林から埼玉・東京の方ですが、標高が低いのでさすがにスカイツリーとかは見えんか💫

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

御神石の鏡岩
怪我した左手を当てて治癒を願う✋😖

雷電神社(助戸東山町)(栃木県)

一応雷電神社参拝は果たしましたが・・・乗り掛かった船で奥の院にも行ってみることにしました😖💦

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雷電神社(助戸東山町)の基本情報

住所

栃木県助戸東山町1762

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

雷電神社(助戸東山町)

読み方

らいでんじんじゃ

通称

下雷電宮

詳細情報

ご祭神《主》大雷神・火雷命
《境内社》山神社
創建時代

平安時代末~鎌倉時代初期

創始者

足利忠綱

ご由緒

足利市助戸丘陵内の山頂(標高約80米)に鎮座する雷電神社(助戸東山町1742番地)は、助戸各町在住者を氏子として崇敬し各町輪番制で祭事を行っている由緒ある神社であります。
御祭神は、大雷命、配祀、火雷命、山神大山祇命を奉祀し、毎年4月、10月の例祭日に、町内安全、五穀豊穰、商売繁栄等の諸祈願が執行されておりましたが現在は春祭りのみ続けられております。
御創建の年月は審かでありませんが古老の話によれば、往昔足利地方大干ばつに際し足利又太郎忠綱(唐沢城主)が当時農家の守護神たる上雷電宮(雷電神社の北裏山にあった)に使者を遣わし雨乞いをなされ、その御神徳を感じて下雷電宮を建立したのが現在の雷電神社の創祀といい伝えられております。
現在の建物は、享保19年申寅季(1734)地頭高木主水正・六角主殿の再建(棟札に明記)されたものであり、その後昭和32年2月建物の腐朽甚だしく、原形保存に努めるべく補修されております。
明治43年9月2日(1910)火雷命を奉祀する上雷電宮を隣接の山頂に鎮座する下雷電宮(現雷電神社)に合祀し現在に至っておりまりす。
当社御神体奉納箱書記載文によれば宝永3年(1706)3月25日神位正一位雷電大権現と記してあり、当時御贈位があったものと思料されます。
【別伝】
板倉沼が干上る旱魃の時,領主秋元侯(館林藩主秋元氏か?)自ら黒馬に乗って邑楽郡板倉沼畔の雷電宮に雨を祈願すると雷電山麓の田圃で雷雲生じ豪雨となる。従者の敷いた板の上で雨の収まるのを待ったので板敷田圃の名が残る。靈驗に報いるために山上に登り参拝した。この故事から雨乞いに黒駒の絵馬を奉納する習いがあった。
御神体箱書に「宝永三年1706三月二十五日神威正一位雷電大権現」と書かれている。

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