【狢谷戸(むじなげいと)のお稲荷さま】
お稲荷さまの創建についてハッキリしたことはわかりませんが、元禄10年(1697)1月野火のため社殿を焼失し、同13年(1700)2月28日に再建したという記録がありますので、それ以前であったことは確かである。
さて、このお稲荷さまには、次のような伝説が残されています。
昔、松田村(松田町)と板倉村(板倉町)の間に、境界をめぐって大論争が起きました。
「ここまでがうちの村だ」
「絶対そんなことはないッ。わしは年寄りに、昔からここまでがうちの方の村分だとハッキリ聞いている」
地形上、これといった目印もないので、この論争はいくら続けてもきりがありません。そのうちに気の早いのが、
「どれだけいったらわかるんだ。あくまで無理を通そうというのか」
「何をッ、無理をいっているのはお前の方じゃないか。口でいってわからなけりゃ、わかるようにしてやろうか」
「いいとも、そっちがその気なら、こっちだって覚悟があるぞ」
売り言葉に買い言葉、お互いに血の気の多いのがすっかり頭にきて、あわや一色即発、血の雨が降りそうな険悪な状態にまで発展してしまいました。
「待て待て、短気はいかん」
「まあまあ、そんなに興奮しないで・・・・・」
あわてて両村の年寄り連中が、中に割って入りましたが、とどのつまりは、お互いの主張を繰り返すばかりで、さっぱりラチがあきません。
「どうだろう。お稲荷さまに伺いをたててみたら・・・・・」
村人の一人がこう提案し、皆もそれに賛成しました。早速、両村の代表が打ちそろって稲荷山に登り、ことの次第を告げてお祈りしました。すると、どうでしょう。社殿の裏手にある大岩が、大きな音をたてて二つに割れ、ハッキリと境界を示したではありませんか。
両村の代表は、今後二度とこのような騒ぎを起こすまいと誓い合い、その境界の目とおし、お稲荷様と反対側になる街道の西にお宮を祀り、大岩の割れ目とお宮を結ぶ線を両村の境とすることにしました。
境界を示した大岩は今も残っています。おそらく20トン以上もあろうと思われる大きな岩で、真ん中あたりから二つに割れ、その割れ目から樫の大木がそびえています。
※ 街道の西側に建てられたというお宮は、第18分団から少し南に寄ったあたり、道路から30メートルぐらい入ったところにあって、境宮(さかいのみや)神社と呼ばれています。
(宗泉寺掲示板より)