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水使神社について

子宝や婦人病、夜尿症などにご利益のある神社です。全国からたくさんの女性の方がお詣りにいらしています。

出流原弁財天の申し子 イソの伝説が伝わる。
普段は無人社、受印は例祭日のみ可。

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くし
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2025年03月22日(土)1703投稿
くし
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2023年04月20日(木)1703投稿

こちらのみずっさまこと水波能売命にフラれ続けること3回、それでも懲りずにストーカーし続けること3年・・・
ついに!ついに!!ついに☆

受印できた━━━.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.━━━!!

・・・まぁ昨年は、どうせ今年も日和って祭りやらねーんだろ(′A`)と完全に腐りきって春も秋も例祭日チェックしに行かなかったんすけどねw
さすがにコロナも収まったしいい加減復活するだろうと春の例祭日狙って行ってみました (このため前日の群馬ツアーで泊まり掛けができなかった)

この神社、正直言ってエロいですw
御利益が婦人病とか子宝だから、どうしても性的シンボルと結び付くんだよね(^^;
いや待てよ? これが人間や神道の本来あるべき姿で、むしろ現代社会の方が余計な倫理感とかにガチガチに縛られすぎなんじゃないのか!?(違)

・・・そういうわけで今回の神社写真は一部閲覧注意(性的な意味で) PC無害 精神微有害

水使神社の御朱印

このツンデレ女神め!
3年間もおあずけ食らわせやがって(*ノд`*)

水使神社の御朱印

御札、さぁどうしてくれようか (*゜∀゜*)グヘヘヘ
んん?ここか!ここがええんか!?(*´Д`)ハァハァ
あん♥️らめぇ(///д///)

・・・神棚の右と左どっちがいいすかみずっさま?(゜゜)

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歴史

栃木県神社誌によると、南北朝時代の観応2(1351)年の創建で、水の神「水波能売命(みずはのめのみこと)」を祭る。昔、地元の豪族・五十部小太郎の下女で、近くの淵で入水自殺したイソの霊を祭ったともいわれ、花柳界の女性らから婦人病に霊験があると信仰された。(神社案内板より)

上記案内板では入水自殺となっているが、子供を助けようとして亡くなったという伝説も伝わる。
【出流原弁財天の申し子イソの物語】
子が授からず悩んでいた内藤兵馬の妻が、佐野出流原の磯山弁財天に子授け祈願したところ、娘を授かったので、イソと名付け、お礼に当地にも弁財天を勧請しました(北1.5km程の処にある磯弁天)
永徳年間(1381~1384)イソが成人し、子供が生まれましたが、不幸にして子供は近くの渕で溺れ、泳げないのに助けようとしたイソは渕に飛び込み、親子共に亡くなってしまいました。
その後、この渕で度々異変が起きて困っていると、土地の豪族五十部小太郎の夢枕に「イソを水使権現として祀れ」とのお告げがあり、社を建て供養しました。

【別伝】
昔、五十部村に余戸小太郎という郷士が住んでいました。
四つぐらいのかわいい男の子がいて、いつも召使のイソと遊んでいました。
ある日のこと、イソがふと気がつくと、そばにいたはずの子供の姿が見あたりません。 はじめは、どこかに隠れているのだろうと軽く考えていましたが、屋敷中くまなく探しても見つかりません。まるで神かくしにでもあったように・・・
屋敷の外に出て、子供の名を呼びながら、淵のそばまできたイソの目に、水底にゆらゆら揺れる子供の影が見えるではありませんか。
半狂乱のようになっていたイソは、自分が泳げないことも忘れ、子供を救おうとして飛びこみましたが、水中深く沈んで、ついにおぼれ死んでしまいました。
どうして子供が急にいなくなってしまったのでしょう。実は大きな鷲が飛んできて、アッという間にさらっていき、淵のそばにある大松の枝の上で、無残にも殺してしまったのです。
水の底に見えたのは、松の枝で死んでいた子供の影でしたが、それを見わけるだけの余裕がイソにはありませんでした。
それからこの淵のそばを通ると、水の中に呼びこまれるなどの異変がおこり、いつしか「影取の淵」といわれるようになりました。
そのため村人は、御厨子さまという神社を建て、イソの霊を祀ってから騒ぎもおさまったと言われています。

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水使神社の情報

住所栃木県足利市五十部町1235
行き方

車の場合、北関東自動車道太田桐生インターチェンジから約15分、電車ではJR山前駅から徒歩20分。

水使神社の基本情報

名称水使神社
読み方みずしじんじゃ
通称みずっさま
御朱印あり
限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》水波能売命(みずはのめのみこと)(イソ女水使権現)
《境内社》機神神社(天羽槌雄神)
創建時代観応2年(1351年)
創始者五十部小太郎
ご由緒

栃木県神社誌によると、南北朝時代の観応2(1351)年の創建で、水の神「水波能売命(みずはのめのみこと)」を祭る。昔、地元の豪族・五十部小太郎の下女で、近くの淵で入水自殺したイソの霊を祭ったともいわれ、花柳界の女性らから婦人病に霊験があると信仰された。(神社案内板より)

上記案内板では入水自殺となっているが、子供を助けようとして亡くなったという伝説も伝わる。
【出流原弁財天の申し子イソの物語】
子が授からず悩んでいた内藤兵馬の妻が、佐野出流原の磯山弁財天に子授け祈願したところ、娘を授かったので、イソと名付け、お礼に当地にも弁財天を勧請しました(北1.5km程の処にある磯弁天)
永徳年間(1381~1384)イソが成人し、子供が生まれましたが、不幸にして子供は近くの渕で溺れ、泳げないのに助けようとしたイソは渕に飛び込み、親子共に亡くなってしまいました。
その後、この渕で度々異変が起きて困っていると、土地の豪族五十部小太郎の夢枕に「イソを水使権現として祀れ」とのお告げがあり、社を建て供養しました。

【別伝】
昔、五十部村に余戸小太郎という郷士が住んでいました。
四つぐらいのかわいい男の子がいて、いつも召使のイソと遊んでいました。
ある日のこと、イソがふと気がつくと、そばにいたはずの子供の姿が見あたりません。 はじめは、どこかに隠れているのだろうと軽く考えていましたが、屋敷中くまなく探しても見つかりません。まるで神かくしにでもあったように・・・
屋敷の外に出て、子供の名を呼びながら、淵のそばまできたイソの目に、水底にゆらゆら揺れる子供の影が見えるではありませんか。
半狂乱のようになっていたイソは、自分が泳げないことも忘れ、子供を救おうとして飛びこみましたが、水中深く沈んで、ついにおぼれ死んでしまいました。
どうして子供が急にいなくなってしまったのでしょう。実は大きな鷲が飛んできて、アッという間にさらっていき、淵のそばにある大松の枝の上で、無残にも殺してしまったのです。
水の底に見えたのは、松の枝で死んでいた子供の影でしたが、それを見わけるだけの余裕がイソにはありませんでした。
それからこの淵のそばを通ると、水の中に呼びこまれるなどの異変がおこり、いつしか「影取の淵」といわれるようになりました。
そのため村人は、御厨子さまという神社を建て、イソの霊を祀ってから騒ぎもおさまったと言われています。

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