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みずしじんじゃ

水使神社の御由緒・歴史
栃木県 山前駅

ご祭神《主》水波能売命(みずはのめのみこと)(イソ女水使権現)
《境内社》機神神社(天羽槌雄神)
創建時代観応2年(1351年)
創始者五十部小太郎
ご由緒

栃木県神社誌によると、南北朝時代の観応2(1351)年の創建で、水の神「水波能売命(みずはのめのみこと)」を祭る。昔、地元の豪族・五十部小太郎の下女で、近くの淵で入水自殺したイソの霊を祭ったともいわれ、花柳界の女性らから婦人病に霊験があると信仰された。(神社案内板より)

上記案内板では入水自殺となっているが、子供を助けようとして亡くなったという伝説も伝わる。
【出流原弁財天の申し子イソの物語】
子が授からず悩んでいた内藤兵馬の妻が、佐野出流原の磯山弁財天に子授け祈願したところ、娘を授かったので、イソと名付け、お礼に当地にも弁財天を勧請しました(北1.5km程の処にある磯弁天)
永徳年間(1381~1384)イソが成人し、子供が生まれましたが、不幸にして子供は近くの渕で溺れ、泳げないのに助けようとしたイソは渕に飛び込み、親子共に亡くなってしまいました。
その後、この渕で度々異変が起きて困っていると、土地の豪族五十部小太郎の夢枕に「イソを水使権現として祀れ」とのお告げがあり、社を建て供養しました。

【別伝】
昔、五十部村に余戸小太郎という郷士が住んでいました。
四つぐらいのかわいい男の子がいて、いつも召使のイソと遊んでいました。
ある日のこと、イソがふと気がつくと、そばにいたはずの子供の姿が見あたりません。 はじめは、どこかに隠れているのだろうと軽く考えていましたが、屋敷中くまなく探しても見つかりません。まるで神かくしにでもあったように・・・
屋敷の外に出て、子供の名を呼びながら、淵のそばまできたイソの目に、水底にゆらゆら揺れる子供の影が見えるではありませんか。
半狂乱のようになっていたイソは、自分が泳げないことも忘れ、子供を救おうとして飛びこみましたが、水中深く沈んで、ついにおぼれ死んでしまいました。
どうして子供が急にいなくなってしまったのでしょう。実は大きな鷲が飛んできて、アッという間にさらっていき、淵のそばにある大松の枝の上で、無残にも殺してしまったのです。
水の底に見えたのは、松の枝で死んでいた子供の影でしたが、それを見わけるだけの余裕がイソにはありませんでした。
それからこの淵のそばを通ると、水の中に呼びこまれるなどの異変がおこり、いつしか「影取の淵」といわれるようになりました。
そのため村人は、御厨子さまという神社を建て、イソの霊を祀ってから騒ぎもおさまったと言われています。

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