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じんめいじんじゃ

神明神社(羽刈町)
栃木県 県駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
あり

神社隣に駐車場 4台前後

神明神社(羽刈町)について

天平二年(730年)創建と伝わる大変な古社。
羽刈町の地名起源説話が伝わる。
昭和45年までは推定樹齢300年の欅の御神木があり「欅の宮」と呼ばれていた。

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くし
くし
2025年01月12日(日) 03時36分40秒
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この日、二社目の伊勢・神明系神社です。
ここも明治までは「神明宮」を名乗っていたようですが、なぜか「神明神社」に変えたらしい。
当時は王政復古と神道国教化をバリバリ進めてて、神祇省なんて国の役所すらあった時代ですから「その程度で宮を名乗っちゃいかん!」とかお達しがあったのかもしれません🎌w

前の百頭神明宮で、おそらく足利最古級の神明社と推測しましたが・・・もっと古いの出てきちゃったよ orz
なんとここは天平二年(730年)創建⁉️・・・平安どころか奈良時代初期ですぜ😱💦
しかし記録はよく残ってる神社で、なんと創建者すら判明❗ まぁこの橋本徳安って人は特に有名人でもないようで、名前でググっても何も出てこなかったんですけどw

あとこの神社には、この辺の町名である「羽刈」の起源説話が伝わってました。
南の方から飛んできて、戦争歌のような声で鳴いた大鷲の羽を射落としたので羽刈だそうで・・・なんのこっちゃ?💫w

このエピソードが起こったのは、戦国時代真っ只中の永禄11年(1568年)の11月。
この「南から来た戦争歌を歌う大鷲」ってのは小田原北条氏で、それを撃退したという暗喩なんじゃないかな❓️⚔️と思って、この年の北条氏政の動きを調べてみたところ、12月に武田信玄の駿河攻めがあり、氏政も今川方に救援送ってますが、それまでは北の方でこの辺で足利長尾氏・太田由良氏・佐野氏なんかを苛めてたのかもしれませんw

もう一人の関東の疫病神w上杉謙信は、越中の一向一揆と戦ってる間に本庄繁長に謀反起こされてるので、毎年恒例の越山ヒャッハー!(°∀°)してる余裕はなさげw
ちなみに中央では、直前の9月に織田信長が足利義昭を奉じて上洛、天下布武への一歩を踏み出してました✊️

ここは幟旗が多数上がってたので、お!人がいる?(°∀°)と一瞬期待したのですが、やはり無人だった(^^;
どうも田舎無人社は、氏子が集まるとしてもやはり元旦だけのようですね😂w

神明神社(羽刈町)(栃木県)

旗が多数上がってたので期待したのだけど、どうやらここも近所の御厨神社と同じで、氏子が集まるのは元日だけの様子(^^;

神明神社(羽刈町)(栃木県)

手水舎
水道などは付いてない古いもの

神明神社(羽刈町)(栃木県)

右手は日露戦争の凱旋碑とか、神社の改築記念碑

神明神社(羽刈町)(栃木県)

左手にあったのは富士講関係の石碑
扶桑教の富士登拝三十三度の記念碑と、富士信仰で神格化されてる行者「食行身禄霊神」の石神

神明神社(羽刈町)(栃木県)

境内社の八坂神社
7月25日に八坂祭も行われるらしい

神明神社(羽刈町)(栃木県)

中にはかなり古びた御神輿が祀られてる

神明神社(羽刈町)(栃木県)

後ろの方に石柱だけの琴平神社
実はここ、本殿の左右の壁に埋め込むような感じで他の摂社も祀られてたそうなんですが、気付かず見逃してしまった😂

神明神社(羽刈町)(栃木県)

拝殿
撮影忘れたので、本殿写真はこの屋根の上にちょっとだけ見えてるものだけですが😅 鰹木付きのなかなか立派な社殿だった🌟

神明神社(羽刈町)(栃木県)

拝殿内
八坂祭で、おそらく町内の子供たちが担ぐと思われるキレイな御神輿があった✨

神明神社(羽刈町)(栃木県)

御神体はよく見えないが幣束が三柱祀られてる様子

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神明神社(羽刈町)の基本情報

住所

栃木県足利市羽刈町728

行き方
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名称

神明神社(羽刈町)

読み方

じんめいじんじゃ

通称

欅の宮

詳細情報

ご祭神《主》天照皇大神(大日靈女貴命)
《配》神建速須佐能男之命
《摂末社》赤城神社、八幡宮、愛宕神社、天満宮、諏訪神社、水神宮、御嶽神社、琴平神社
《富士講石神》食行身禄霊神
創建時代

天平二年(730年)

創始者

橋本徳安

本殿

(本殿)神明造銅板葺 (拝殿)神明造瓦葺

ご由緒

社伝によると、天平二(七三〇)年、西ヶ原に創建されたが、後に現在の下の宮に遷移したという。
古来、本村は上橡境原と称していたが、永禄十一年十一月(1568年)南方よりたまたま大鷲来たりて戦争歌のような聲で鳴いたため、村人が弓矢で左羽を射落した、そのため上橡境原を羽刈原と改めた。
元亀元年(1570年)本社をもって村の鎮守神と崇敬し、橋本徳安十八代の子孫 橋本好通が社人となり奉仕する。
昭和四五年に伐採されるまで、本殿脇には樹齢千三百年におよぶ神木の大欅があったため、土地の人の中には「欅の宮」と呼ぶ者もいる。
明治三七年、皇大神宮を祀る際に神明宮から神明神社と改称した。
配神に神建速須佐能男之命を祀り、七月二五日には八坂祭が行われる。

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