むらやませんげんじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
村山浅間神社について
境内に富士山興法寺 大日堂があります。
静岡県のおすすめ3選❄️
おすすめの投稿

心新たに浅間神社巡り🌸⛩️
③村山浅間神社
富士山の修験道が色濃く残る浅間神社です。元々、明治時代の廃仏毀釈運動により廃された、興法寺という寺院がありました。今は浅間神社となっていますが、境内には興法寺大日堂も残っており、建物内には木造の大日如来坐像や、役行者像が祀られています。
富士山周辺の浅間神社は、どれも個性的というか、受ける印象がバラバラしています。明治期に、本来の姿が隠されて「浅間神社」に一新されてしまった感があります。この村山浅間神社は、元々修験信仰の仏教要素が強いのだと思われます。





この扁額、なんで読むのか謎でしたが、鳥居の額と同じ「冨士根本宮」と書いてあるようです。(右から)
御朱印にもこの字が。


摂社の氏神社。




大日堂。中に上がって、仏像や曼荼羅を拝む事ができます。




御朱印の右端にも、扁額と同じ「富士根本宮」の文字が。

週末なら社務所開いてると思って伺いましたが緊急事態宣言中だった為閉まってました。
江戸時代までは、大宮(富士宮)の富士山本宮浅間大社に参拝し、湧玉池での水垢離(みずごり)で身を清めた後に、村山へ向かうのが一般的でした。
江戸時代までの神仏混淆の時代には、富士山興法寺と村山三坊(池西坊・辻之坊・大鏡坊)があり、大宮・村山口登拝道や山頂の大日堂を管理していました。
富士山興法寺は、富士山での修験道の拠点として繁栄し、村山から富士山へ登る多くの修験者を集めていました。
富士講全盛の江戸時代には村山集落は修験者が住む地として繁栄していました。
村山浅間神社社殿は、明治の神仏分離で建立されたもので、現存する建物は鉄筋コンクリートによる再建。
明治初年に廃寺となった富士山興法寺の大日堂が現存。
江戸末期の建築で、正嘉3年(1259年)の銘がある大日如来坐像が祀られています。
また、境内には修験者が身を清めた水垢離場、石組の護摩壇なども残されています。






















写真












| 名称 | 村山浅間神社 |
|---|---|
| 読み方 | むらやませんげんじんじゃ |
| 通称 | 冨士根本宮 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 《主・中座》木花開耶姫
《左座》 大山祇命,彦火々出見命,瓊瓊杵命 《右座》 天照大神,伊弉諾尊,伊弉冉尊 |
|---|---|
| 体験 | おみくじ絵馬世界遺産御朱印お守り |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
静岡県のおすすめ3選❄️
村山浅間神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
























15
0