しゅぜんじ|曹洞宗|福地山
修禅寺のお参りの記録一覧
807年に空海が創建しました。
源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたことでも知られています。
但し、範頼に関しては殺害を裏付ける史料が残っていないことや子孫が御家人として残っているという事実から生存説が取り沙汰されています。
御朱印を4種類頂きました。
ミシュラン二つ星の評価がある修禅寺、竹林の小径散策を楽しみました。
御朱印は書き置きのみ
なんと温泉です
🌸が満開
竹林の小径は夜のライトアップが綺麗
シルエットが素敵
足湯につかりました
とっこの湯
807年弘法大師・空海によって創建された。
源頼朝の弟・源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家がこの地に幽閉され殺害されている。
飛地境内にある指月殿は非業の死を遂げた頼家の冥福を祈り、母・北条政子が建立したものといわれ伊豆最古の木造建築とされる。
鎌倉の建長寺を開いた蘭渓道隆が元寇の際、元の密偵であるとの疑いをかけられ建長年間(1249年~1255年)に移されていた。
1361年畠山国清と足利基氏の戦乱の兵火、1409年の火災で伽藍が全焼し荒廃したが、室町時代中期、韮山城主となった北条早雲により再興された。
本堂
本堂
本堂
鐘楼
大師の湯(手水舎)
大師の湯(手水)
暖かい温泉が湧出している。
山門
山門
山門
源頼家墓
源頼家家臣十三士の墓
指月殿
指月殿
釈迦如来坐像
釈迦如来坐像
源範頼墓
源範頼墓
さすが温泉地、手水舎はお湯が出ています。源泉かけ流しかな? 御朱印は本堂右手の寺務所に専用の窓口があり数種類の中から選べます。
お湯が出ます
修善寺駅からだとバスでここまで。バス停だけど「駅」
基本の形をいただきました
今朝間違えた場所に投稿してしまい、再投稿です
大同2年(807年)、空海(弘法大師)が修善寺に創建したと伝えられる古刹が修禅寺で、正式名は福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)。修善寺温泉の地名の由来になった寺ですが、源頼朝の異母弟、源範頼(みなもとののりより)と2代目将軍・源頼家が幽閉、暗殺されたことでも有名です。
鎌倉時代に蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入山して真言宗から臨済宗に改宗しています。長享3年(1489年)、韮山城主・北条早雲が隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)を遠州の石雲院から招いて曹洞宗に改宗した。
源範頼、そして源頼家の悲話を秘めた寺らしく、境内は静寂に包まれています。
手水場の龍の口から温泉が流れ出ているところは修善寺温泉らしいところ。
現存する本堂は明治16年の再建で、本尊の木造大日如来坐像は、承元4年(1210年)に実慶が作ったとの墨書が発見されており、国の重要文化財。
建久4年8月17日(1193年9月14日)、源範頼は源頼朝に謀反の疑いをかけられ、修禅寺に幽閉、殺害されています。
『保暦間記(ほうりゃくかんき)』、『北條九代記』には誅殺されたと記されていることから頼朝の妻・北条政子の陰謀説もささやかれるが定かでありません。
源頼朝と北条政子の嫡男である源頼家は、18歳で第2代征夷大将軍(鎌倉殿)になるものの病に伏し、その間に弟の源実朝が征夷大将軍に就任。
源頼家は母の政子により修禅寺に幽閉され、元久元年7月18日(1204年8月14日)、北条氏の手兵によって入浴中に殺害されてしまいます。
「伊豆の小京都」と呼ばれる温泉街修善寺を代表するお寺さんです😊大同2年(807)弘法大師が創建したと伝えられています✨開創1200年を超える古刹✨源頼家が幽閉された場所でもあります。御本尊は大日如来🙏伊豆八十八ヶ所霊場第88番礼所😊
虎渓橋(あこがれ橋)の先に見えます✨温泉街を流れる桂川は戯曲「修善寺物語」で源頼家と桂が愛を育んだ場所、桂川にかかる5つの橋をめぐって修善寺にお参りすると思いが叶うと言われているそうです💕
山門、両脇に金剛力士像が鎮座しています✨
境内✨
大師の湯✨
さすが修善寺!温泉が出ています✨
鐘楼堂✨
弘法大師像✨
宝物殿 入館料(大人300円、小人200円)観る価値あります!
書き置き御朱印✨
お寺の前の川にある独鈷(とっこ)の湯♨️
伊豆最古の温泉♨️入ることはできません😊
川の向かいにある河原湯(足湯)があるとっこの湯公園にあるお湯かけ稚児大師✨
正式名:福地山修禅萬安禅寺
通称:修禅寺
静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院で、修善寺温泉街の中心にある。夏目漱石の「修善寺の大患」、岡本綺堂の「修禅寺物語」でも名高い。
修善寺温泉発祥の寺で、平安時代初期の大同2年(807)弘法大師の開基と伝わっている。
鎌倉時代に北条氏が帰依したことから寺運が隆盛となり、堂塔が連なる大寺となった。
建久5年(1194)源範頼は兄頼朝の猜疑を受けここに幽居され、梶原景時に攻められて自刃した。また、頼朝の長子で2代将軍頼家は母政子と祖父北条時政の謀略により幽閉され、元久元年(1204)入浴中に暗殺されるなど、源氏一族の骨肉相はむ悲劇の舞台となり、源氏滅亡の場として歴史にその名を残している。
隣接の宝物殿「瑞宝蔵」には、空海が温泉を湧き出させたという金銅の独鈷杵、北条政子が我が子頼家の冥福を祈って寄進した宋版放光般若経、岡本椅堂が戯曲「修禅寺物語」を書くヒントとなった2代将軍頼家の最期をうつしたといわれる木彫りの古面などが展示されている。
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