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眞珠院ではいただけません
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眞珠院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年11月21日(日)
【完・44】八重姫ゆかりの神社
真珠院・音無神社・日暮八幡神社・最誓寺・富戸三島神社・火牟須比神社
真珠院の横の川は平安時代に”真珠ヶ淵”と呼ばれていた。
~八重姫の悲しい最期~
八重姫は、伊東館を抜け出し、頼朝のいる北条館を訪ねる・・・
しかし、頼朝は、時政の娘政子と結ばれていたのだという。
伊東館に帰ることもできない八重姫
真珠ヶ淵の渦巻く流れの中に身を投げたのだと伝えられている。
侍女達は姫の遺髪を胸に月光のもと、大仁・田中山の松の根方で自害したと言います。
真珠院の境内には八重姫の供養塔があります。
また、彼女たちを哀れに思った里人たちは碑を建て供養し「女塚」と呼びました。約八百年前のことです。
真珠院・音無神社・日暮八幡神社・最誓寺・富戸三島神社・火牟須比神社
真珠院の横の川は平安時代に”真珠ヶ淵”と呼ばれていた。
~八重姫の悲しい最期~
八重姫は、伊東館を抜け出し、頼朝のいる北条館を訪ねる・・・
しかし、頼朝は、時政の娘政子と結ばれていたのだという。
伊東館に帰ることもできない八重姫
真珠ヶ淵の渦巻く流れの中に身を投げたのだと伝えられている。
侍女達は姫の遺髪を胸に月光のもと、大仁・田中山の松の根方で自害したと言います。
真珠院の境内には八重姫の供養塔があります。
また、彼女たちを哀れに思った里人たちは碑を建て供養し「女塚」と呼びました。約八百年前のことです。
守護山 真珠院(曹洞宗)静岡県伊豆の国市中條145-2..
御本尊 釈迦牟尼仏
御本尊 釈迦牟尼仏
八重姫 入水の地 案内
伊東祐親には四人の娘がいました。その三女が八重姫
伊豆に流された源頼朝は八重姫と知り合い、おとなしの森「音無神社」で密会を繰り返していた。
やがて一児をもうけます、千鶴丸といいます。
伊東祐親は、「源氏の流人を婿にして平家に咎められては大変なことだ」と激怒。
千鶴丸(3歳)を簀巻(すまき)にして川に投げ入れてしまいます。
富戸にある「産衣石」は、千鶴丸の伝説が残された石。
産衣石の北に鎮座する「三島神社」には、千鶴丸が祀られています。
伊東祐親には四人の娘がいました。その三女が八重姫
伊豆に流された源頼朝は八重姫と知り合い、おとなしの森「音無神社」で密会を繰り返していた。
やがて一児をもうけます、千鶴丸といいます。
伊東祐親は、「源氏の流人を婿にして平家に咎められては大変なことだ」と激怒。
千鶴丸(3歳)を簀巻(すまき)にして川に投げ入れてしまいます。
富戸にある「産衣石」は、千鶴丸の伝説が残された石。
産衣石の北に鎮座する「三島神社」には、千鶴丸が祀られています。
直進で山門、左には観音様がいます。
左の観音様、戻って山門に向かいます
狩野川台風の最高水位に石柱
1958年昭和33年9月26日の狩野川台風は、観測史上最大級の台風
(修善寺橋付近で最高水位は河床上 9m に達しました。)
9月26日 22 時頃に伊豆半島東岸をかすめて通過
1958年昭和33年9月26日の狩野川台風は、観測史上最大級の台風
(修善寺橋付近で最高水位は河床上 9m に達しました。)
9月26日 22 時頃に伊豆半島東岸をかすめて通過
山門です
山門左のちいさい六地蔵さん
山門から見た八重姫御堂
参道先に本堂が
参道先に本堂が
10.八重姫御堂全景
八重姫御堂
八重姫御堂の周辺
八重姫主従七女之碑
八重姫に従っていた侍女6人が、真珠ヶ淵に身を投げた八重姫を葬り弔ったのが真珠院のはじまりだともいわれる。
八重姫を葬った侍女たちは、伊東へ帰る途中で自害したという。
八重姫に従っていた侍女6人が、真珠ヶ淵に身を投げた八重姫を葬り弔ったのが真珠院のはじまりだともいわれる。
八重姫を葬った侍女たちは、伊東へ帰る途中で自害したという。
八重姫慕情の歌碑
桜吹雪に木洩れ陽の 揺れて無情の憂いあり
伊豆韮山の中條に 立てば遠き空の果て
侍女に守られ八重姫は 頼朝公を御慕い
悲恋はかなく 落葉舟 真珠ヶ淵の渦の中
里人出でて走れども 岸高くして底深く
夕暮れせまり いかにせん 救わせたまえ姫の身を
那木(なぎ)の木末(こずえ)の そよぐ下 供養の塔にかけられし
小さき梯子 数いくつ 治承の昔 偲ばれる
桜吹雪に木洩れ陽の 揺れて無情の憂いあり
伊豆韮山の中條に 立てば遠き空の果て
侍女に守られ八重姫は 頼朝公を御慕い
悲恋はかなく 落葉舟 真珠ヶ淵の渦の中
里人出でて走れども 岸高くして底深く
夕暮れせまり いかにせん 救わせたまえ姫の身を
那木(なぎ)の木末(こずえ)の そよぐ下 供養の塔にかけられし
小さき梯子 数いくつ 治承の昔 偲ばれる
那木の木
那木の葉は縦に裂けず愛のお守りとして持つと功徳があるそう
八重姫御堂右前の大木は、那木(和木)といって、葉が横に裂けず「愛のお守り」として、また、「家族平穏のお守り」として功徳がある.
那木の葉は縦に裂けず愛のお守りとして持つと功徳があるそう
八重姫御堂右前の大木は、那木(和木)といって、葉が横に裂けず「愛のお守り」として、また、「家族平穏のお守り」として功徳がある.
梯子供養
御堂に納められている梯子は、八重姫が入水したときに「せめて梯子があれば救うことができた」という里人たちの気持ちが、願い事が成就したときに、そのお礼参りとして梯子を供える習慣として残されるようになったのだという。
御堂に納められている梯子は、八重姫が入水したときに「せめて梯子があれば救うことができた」という里人たちの気持ちが、願い事が成就したときに、そのお礼参りとして梯子を供える習慣として残されるようになったのだという。
願かけ石
八重姫御堂左前の願かけ石は、自分の歳の数だけ石をたたくと願い事が必ず成就すると伝えられている。
八重姫御堂左前の願かけ石は、自分の歳の数だけ石をたたくと願い事が必ず成就すると伝えられている。
八重姫御堂
ちなみに八重姫は、『曽我物語』で有名な曽我兄弟の叔母にあたる人物です。
ちなみに八重姫は、『曽我物語』で有名な曽我兄弟の叔母にあたる人物です。
八重姫御堂におまいりしました。
20.八重姫御堂からの景色、那木の木
八重姫御堂からの景色
八重姫 入水の地
八重姫が身を投げた真珠ヶ淵(右の川)
父祐親に頼朝との仲を引き裂かれた八重姫でしたが、頼朝のことを忘れることができず、密かに伊東館を抜け出して、頼朝のいる北条館を訪れたのだといいます。
しかし、その時、頼朝は北条時政の娘政子と恋仲になっていました。
帰ることもできない八重姫は、真珠ヶ淵で涙にくれながら
「今は世に生きる何の望みもなし。せめて我が身を犠牲にして、将来共末永く不幸な女人達の守護神となりましょう」
そう言い残して 、那木の一枝を取り、真珠ヶ淵の渦巻く流れの中に身を投げた
八重姫が身を投げた真珠ヶ淵(右の川)
父祐親に頼朝との仲を引き裂かれた八重姫でしたが、頼朝のことを忘れることができず、密かに伊東館を抜け出して、頼朝のいる北条館を訪れたのだといいます。
しかし、その時、頼朝は北条時政の娘政子と恋仲になっていました。
帰ることもできない八重姫は、真珠ヶ淵で涙にくれながら
「今は世に生きる何の望みもなし。せめて我が身を犠牲にして、将来共末永く不幸な女人達の守護神となりましょう」
そう言い残して 、那木の一枝を取り、真珠ヶ淵の渦巻く流れの中に身を投げた
八重姫御堂に咲いた花
八重姫御堂を振り返る
次は本堂に向かいます
次は本堂に向かいます
八重姫さんの御朱印
本堂への参道、左右に整えられた庭園があります。
庭園 (一部)
本堂へ
守護山 眞珠院(曹洞宗)静岡県伊豆の国市中條145-2
御本尊 釈迦牟尼仏
本堂です、右に庫裡ここで御朱印が戴けます。
御本尊 釈迦牟尼仏
本堂です、右に庫裡ここで御朱印が戴けます。
30.本堂内
本堂から見える景色
(那木(なぎ)の木と山門)
(那木(なぎ)の木と山門)
本堂全景
十三重塔のよこを抜け
観音様
観音様にあいさつ
五輪塔の案内があります。
五輪塔は静岡県内最古で
町指定文化財となっています。
町指定文化財となっています。
四方に四方佛が刻まれた非常に貴重な五輪塔です
(阿しゅく仏・宝生仏・阿弥陀仏・不空成就仏が刻まれている貴重な塔)
(阿しゅく仏・宝生仏・阿弥陀仏・不空成就仏が刻まれている貴重な塔)
磨崖仏につきました。
40.磨崖仏
阿弥陀如来磨崖仏
阿弥陀如来磨崖仏
貞治2年銘の阿弥陀如来磨崖仏らとともに市の文化財に指定されている。
真珠院の花
戻って庫裡、ここで御朱印を戴けます
44..守護山 眞珠院(曹洞宗)静岡県伊豆の国市中條145-2
御本尊 釈迦牟尼仏
御本尊 釈迦牟尼仏
すてき
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