もりやまはちまんぐう
守山八幡宮のお参りの記録一覧
願成就院の隣にあり、源頼朝に深い関りのある神社です。
自宅がこの神社の前にある男性2人に話を聞くと、大分県宇佐八幡宮が本宮だとか。
たまに神主さんも来るけど、三島市にある三嶋大社の人だよ、との事。
守山というのは地名というか、この神社から登っていく山なのだそうです。
本殿の裏に、守山山頂展望台に続く石段がありました。
私の前に来たカップルは登ったようです。
が、その時の私は、天気を気にするのと、前日からリュックが重くて腰を痛めてと、夜中に「登山事故」のYou tube動画を何故か見まくったのとで、
「諦める勇気」とか何とか言って。本殿までで終わりに。
次回、山登りします!
願成就院の隣に鎮座している源氏ゆかりの八幡さま⛩石段を登ると拝殿を兼ねた舞殿✨その奥に社殿へ続く長い石段があります😊石段は傾斜が急で幅も狭く💦この日は雨で滑りやすくもありましたがしっかりした手すりがあったので無事に登り下りできました💕
上方の社殿は拝殿と奥に本殿がありとても立派なお社でした!
源頼朝挙兵の地だそうです🙏この地域一帯がパワースポットであるのを感じます😊
御祭神
誉田別命 大山祇神 木花開耶姫命
源氏の守護神・八幡神を祀る社で、1180(治承4)年4月27日に高倉宮以仁王から平家追討の令旨を受け取った頼朝は、開く前に守山八幡宮を遙拜したといいます。
境内の石碑には、「史蹟 源頼朝挙兵之碑」と題した石碑があり、次のように刻まれています。 「源頼朝 治承四年八月十五日守山八 幡宮に平家追討を祈願して挙兵 夜陰 源氏重恩の軍 兵数十騎 山木判官平兼隆を襲い討つ 其の間 頼朝 遥かに山木館の火煙を望み 悲願の達成を悦ぶ 蓋し鎌倉幕府草創の礎はここに於て成ると 故に記して 建碑の所以とする」 現在の本殿は慶長2年(1597)韮山城主内藤信成の造営です。
急な石段の上には本殿が鎮座し、下の舞殿では毎年10月の例祭に三番叟が奉納されます。
ホームページより
舞殿✨
拝殿の奥に本殿🙏
ありがとうございました🙏
頼朝が山木兼隆を襲い討つ際この地から山木の館を眺めてた「守山八幡宮」
願成就院の奥ばった真隣にある山の中腹。
駐車場って言っていいのかわからないスペースが鳥居北側にある。
石標に「守山八幡宮」で石鳥居。横に石で刻まれた由緒板。読める。
階段登って舞殿。その奥にずーっと階段。手すりがあるので安全だが上に上がるほど一段が狭い。苔で滑る。
登り切ったら正面拝殿。特に他なし。山の中腹にあるので木が覆い繁る。
治承四年八月十五日、源頼朝が平家追討祈願し挙兵。夜陰、源氏の軍が山木兼隆を襲撃する「関東御施政の始まり」がある。
その山木館襲撃をこの地で見て悲願達成に喜んだとか。鎌倉殿の〜だと第4話。
木が多すぎて全く見えない。
山木館があり頼朝が見たであろう景色。木が多くて全然見えん。
願成就院を参拝している時に、奥の方に鳥居が見えたのでご挨拶してきました。
源頼朝が源氏再興を祈願して挙兵した場所とされています。
社務所らしきものは見当たらず、恐らく御朱印は頂けないかと思います。
願成就院さんに車を停めたまま参拝させて頂いたので、駐車場は余り良く見ませんでしたが、鳥居横の駐車場に「宮司様」とあり、その横に同じ方の名前が数台分ありましたので恐らくそちらかと思います。
ただ、守山八幡宮の名称はありませんでしたので定かではありません。
願成就院の奥の方に鳥居が見えたので伺いました
社号標
鳥居
源頼朝挙兵の碑
約20段程の階段を上がります
石燈籠
手水処
残念ながら手水が出来る状態ではありません
境内全景
拝殿?遥拝所?
と思いましたが
扁額
後ろから見ると、神楽殿のようです
結構急な階段を更に約160段程上がります
運動不足のおじさんにはキツイです
階段を2/3程上がった処に祠がありました
末社かと思われますが、階段からは少し離れていたので確認できませんでした
拝殿前の石燈籠
拝殿
拝殿 扁額
由緒書き
宮司さんか氏子さんの手作りと思われますが、なんかホッとします
本殿
神紋
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