もりやまはちまんぐう
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
静岡県のおすすめ3選🍁
おすすめの投稿
願成就院の隣に鎮座している源氏ゆかりの八幡さま⛩石段を登ると拝殿を兼ねた舞殿✨その奥に社殿へ続く長い石段があります😊石段は傾斜が急で幅も狭く💦この日は雨で滑りやすくもありましたがしっかりした手すりがあったので無事に登り下りできました💕
上方の社殿は拝殿と奥に本殿がありとても立派なお社でした!
源頼朝挙兵の地だそうです🙏この地域一帯がパワースポットであるのを感じます😊
御祭神
誉田別命 大山祇神 木花開耶姫命
源氏の守護神・八幡神を祀る社で、1180(治承4)年4月27日に高倉宮以仁王から平家追討の令旨を受け取った頼朝は、開く前に守山八幡宮を遙拜したといいます。
境内の石碑には、「史蹟 源頼朝挙兵之碑」と題した石碑があり、次のように刻まれています。 「源頼朝 治承四年八月十五日守山八 幡宮に平家追討を祈願して挙兵 夜陰 源氏重恩の軍 兵数十騎 山木判官平兼隆を襲い討つ 其の間 頼朝 遥かに山木館の火煙を望み 悲願の達成を悦ぶ 蓋し鎌倉幕府草創の礎はここに於て成ると 故に記して 建碑の所以とする」 現在の本殿は慶長2年(1597)韮山城主内藤信成の造営です。
急な石段の上には本殿が鎮座し、下の舞殿では毎年10月の例祭に三番叟が奉納されます。
ホームページより
舞殿✨
拝殿の奥に本殿🙏
ありがとうございました🙏
頼朝が山木兼隆を襲い討つ際この地から山木の館を眺めてた「守山八幡宮」
願成就院の奥ばった真隣にある山の中腹。
駐車場って言っていいのかわからないスペースが鳥居北側にある。
石標に「守山八幡宮」で石鳥居。横に石で刻まれた由緒板。読める。
階段登って舞殿。その奥にずーっと階段。手すりがあるので安全だが上に上がるほど一段が狭い。苔で滑る。
登り切ったら正面拝殿。特に他なし。山の中腹にあるので木が覆い繁る。
治承四年八月十五日、源頼朝が平家追討祈願し挙兵。夜陰、源氏の軍が山木兼隆を襲撃する「関東御施政の始まり」がある。
その山木館襲撃をこの地で見て悲願達成に喜んだとか。鎌倉殿の〜だと第4話。
木が多すぎて全く見えない。
山木館があり頼朝が見たであろう景色。木が多くて全然見えん。
歴史
式内社 伊豆國田方郡 石徳高神社
北条氏ゆかりの願成就院の後方、守山の中腹にある守山八幡宮は、647年(大化3年)、大山祗神を祭神として創建され、907年(延喜7年)、宇佐八幡宮の八幡神が勧請され合祀された。
1180年(治承4年)には、源頼朝が源氏再興を祈願して挙兵している。
現在の本殿は、1632年(寛永9年)に久能城主榊原照久によって造営された建物。
古代、守山八幡宮の建つ北条郷と狩野川の反対側の江間郷は一つの郷で、狩野川を越えた大男山(雄徳山) 山頂に総鎮守があった。
しかし、狩野川の流れが変わり、両郷を分断してしまったため、北条郷は守山の地に遷座し祀ったのだといわれている。
その後、八幡神が合祀され守山八幡と称されるようになった。
名称 | 守山八幡宮 |
---|---|
読み方 | もりやまはちまんぐう |
詳細情報
ご祭神 | 御祭神 誉田別命 大山祇神 木花開耶姫命 配祀 氣長足姫命 武内宿禰命 大鷦鷯命 猿田彦命 合祀 平岡神 經津主神 武甕槌神 松川神 大山咋神 鹽土老翁神 宇迦之御魂神 市杵嶋姫神 瓊瓊杵尊 愛宕神 |
---|---|
ご由緒 | 式内社 伊豆國田方郡 石徳高神社 北条氏ゆかりの願成就院の後方、守山の中腹にある守山八幡宮は、647年(大化3年)、大山祗神を祭神として創建され、907年(延喜7年)、宇佐八幡宮の八幡神が勧請され合祀された。 1180年(治承4年)には、源頼朝が源氏再興を祈願して挙兵している。
しかし、狩野川の流れが変わり、両郷を分断してしまったため、北条郷は守山の地に遷座し祀ったのだといわれている。 その後、八幡神が合祀され守山八幡と称されるようになった。 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
静岡県のおすすめ3選🍁
守山八幡宮に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0