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曹洞宗

太梅寺
静岡県 蓮台寺駅

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名称太梅寺
電話番号0558-28-0349
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詳細情報

宗旨・宗派曹洞宗
ご由緒

寺伝によれば、後冷泉天皇の寛徳三年(1046)真言宗の僧、桓舜僧都が名山霊地を探し行脚しこの地に至り、地勢を見て求めていた霊地であると知り、樹の下で座禅を組んで一夜を過ごしたところ夜半に一人の童子が現れ「永い間、明るい光を持って世間を照らすということは大きなご利益になるのではないでしょうか」と言う。そして草庵を造ったのが始まり。

明星山満珠寺と名づけ、地蔵尊を本尊として奉りました。 寺院の裏山には寺の鎮守として、稲荷神社が勧請されました。 後に寺名を改めて太梅山深居庵とし、臨済宗に改宗しました。 更にその後の1557(弘治3)年には曹洞宗に改宗し寺院名は深居山太梅寺となり、1852(嘉永5)年に現在の山号に変わったと伝えられています。

太梅寺は平安時代末に創建された深居庵がそのはじまりと伝えられています。横川集落を望む山の中腹にあり、戦国時代末期の天正11年(1583)12月26日付 北条家寺中安堵朱印状(後北条氏の家臣江雪の名で下された朱印状で、深居庵寺内における狼藉を止め、竹木伐採を禁じたもの)や
豊臣秀吉が小田原後北条氏を攻めた折に深居庵での兵士の乱暴を禁じた制札(「安国寺恵瓊制札」市指定文化財)、幕末から明治にかけて活躍した石工小川清助の代表作である子育地蔵などが残っています。

<寂用禅師語録>
横川太梅寺に伝わるこの書物は、戦国時代から江戸時代初期に伊豆・相模と広い範囲で活動した禅僧寂用英順が記した語録(法語や説法を記録したもの)で、地域の歴史を語る重要な史料として下田市の文化財に指定されています。
寂用英順は戦国時代の永正13年(1516)に生まれ、江戸時代初期の慶長19年(1614)に99歳で没した曹洞宗の僧侶です。出身地や僧侶となった経緯は定かでありませんが、英順の師であった実堂宗梅(後の小田原香雲寺四世)に従って南伊豆にやってきたと考えられています。

英順はまず無住だった加増野の草庵(常楽庵、後に常源寺。現廃寺)に入り、しばらくして湊(南伊豆町)に修福寺を開きました。やがて常源寺だけでなく、太梅山深居庵や修福寺、さらに小田原大安寺の住持も務めました。
英順は寺の経営だけでなく、船を使って商売を行い、戦国大名後北条氏と接近するなど、僧侶としての活動を超えた奔放な生き方をした人物でした。

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