浄土宗東月山
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楽しみ方宗閑寺のお参りの記録一覧

後北条氏の山城、山中城ハイキングに行った際に立ち寄りました。三の丸の裏手にある浄土宗のお寺、宗閑寺。豊臣秀吉による「小田原攻め」の際、激しい攻城戦の舞台となり、戦死した守備側の副将間宮康俊の娘により創建されました。
境内には間宮康俊の墓に加えて同じく戦死した城主松田直長の墓、そして寄手の豊臣側の一柳伊豆守直末(ひとつやなぎいずのかみなおすえ)の墓も「仲良く」並んでいます。松田直長の墓の上部には、クルス様の紋様も彫られています。隠れキリシタンだったのか?
戦死した武将が敵味方区別なく同じ寺の境内で手厚く葬られている。その墓が守られているのは、地元の人々のお陰。それだけこの地の人々が後北条氏への敬慕の念、戦死者への思いを忘れなかった事を物語っています。
墓の間にそびえ立ち、墓を守るかの様に見える大きな樹木。このお寺と墓の長い歳月を共に過ごして来たのだろうか。今の自分達も謙虚に昔の人々から学ばねばならないと深く感じました。






山中城跡三ノ丸内にあるお寺です🙏🙏ひっそりと静か、苔むした境内に山中城将のお墓があります😊
以下三島市の観光ウェブより
山中城は、戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に、小田原に本城をおいた後北条氏が築城しました。
その後天正17年豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに備え、急遽堀や岱崎出丸(だいさきでまる)等の整備、増築を行ないました。
しかし翌天正18年(1590年)3月29日、増築が未完成のまま、4万の豊臣軍の総攻撃を受けました。
北条軍は4千で、必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したと伝えられています。
このときの城将松田康長、副将間宮康俊、豊臣方の一柳直末等武将の墓が三ノ丸にある宗閑寺境内にあります。





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