ゆぜんじんじゃ
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湯前神社ではいただけません
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湯前神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月05日(木)
参拝:2024年8月吉日
伊豆国田方郡の式内社「久豆弥神社」の論社です。今やホテルの立ち並ぶ大規模温泉街となった熱海温泉の鎮守社で、社名は熱海温泉の中心的源泉であった大湯間歇泉の前に鎮座していたことが由来となっています。
《鳥居と社号碑》
《鳥居について》
熱海は温泉以外にも石切場として栄えた地であり、主な産出だった安産岩を使って作られているのが特徴的です。石の違いが全く分からないのが残念です…
熱海は温泉以外にも石切場として栄えた地であり、主な産出だった安産岩を使って作られているのが特徴的です。石の違いが全く分からないのが残念です…
《手水舎》
水は流れていませんが、石鉢周りが白く変色しているのは温泉の成分によるもののようです。
水は流れていませんが、石鉢周りが白く変色しているのは温泉の成分によるもののようです。
《由緒書き》
《表参道》
坂道の多い周辺によく立ってますね。
坂道の多い周辺によく立ってますね。
《狛犬像》
なんかちょっと悲壮感漂うような…
なんかちょっと悲壮感漂うような…
《句碑》
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
ここ熱海の地はその名の通り海が温泉の熱湯によって熱なったことに由来し、当社とかつて走湯権現の名前で知られていた伊豆山神社の社名に表れています。この熱湯と間歇泉は1500年以上前から認識されていたようですが、当時は海中に噴出しており温泉としては認識されていなかったようです。
👁チェックポイント‼️
ここ熱海の地はその名の通り海が温泉の熱湯によって熱なったことに由来し、当社とかつて走湯権現の名前で知られていた伊豆山神社の社名に表れています。この熱湯と間歇泉は1500年以上前から認識されていたようですが、当時は海中に噴出しており温泉としては認識されていなかったようです。
《扁額》
温泉街になったのも源泉が内陸に移動した江戸時代ごろからであり、当社も伊豆山神社も『延喜式』神名帳においては別の社名であったと予想されており、温泉に関する神社として認識されるのはかなり後世になってからになります。
温泉街になったのも源泉が内陸に移動した江戸時代ごろからであり、当社も伊豆山神社も『延喜式』神名帳においては別の社名であったと予想されており、温泉に関する神社として認識されるのはかなり後世になってからになります。
《詰所》
現在は来宮神社さんが兼務しており、御朱印もそちらでいただけます。
現在は来宮神社さんが兼務しており、御朱印もそちらでいただけます。
すてき
みんなのコメント(2件)
くるくるきよせん
神祇伯さん こんばんは。
いつも全国の神社の写真 楽しく拝見させていただいています。
こちら湯前神社さん 温泉の鎮守社とは・・・初めてしりました 温泉に鎮守社。
鎮守社というと どうしてもお寺とか歴史のある建物とか 有名な方に関係ある建物とか そういうものしかイメージなかったです。
熱海温泉がずっと人気なのは こちらの神社さんのお力かも知れませんね。
素敵な情報をありがとうございました。
2024年09月05日(木)
くるくるきよせんさん、こんばんは!
いつもいいねいただきありがとうございます。
過去にいいねをくださっている温泉神社たちもそれぞれが鎮座している神社周辺の温泉地の鎮守社として崇敬されています。
やはり温泉がその発生、効果などからして神仏の力と同一に扱われたり、湯治場としてたいへん大事にされていた証拠ですね。
2024年09月05日(木)
投稿者のプロフィール
神祇伯1467投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(11/3更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
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