しろわじんしゃ
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白羽神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年09月16日(月)
参拝:2019年5月吉日
仁明天皇承和四年
元宮である岬の駒形神社より遷る。
旧社地の駒形神社は 往古沖で遭難した
九十頭の馬の内一頭が岸にたどりついた地と
される。
残りの馬は沖の御前岩と化したと云う。
服織田神社とも云われ 旧縣社として
古くより信仰が厚い社。
また 往古は馬をお祀りしていた。
これは 龍神信仰によるもので
海辺では名馬が育つと信じられたため。
仁明天皇承和元年
神様のお諭しにより宮処を廻り
青龍・白虎・朱雀・玄武の魔除の
四神相諮り相応の処を定め 承和四年遷座。
武門武将の崇敬篤く
源頼朝以来白羽地区全域が神領。
永禄年間 今川義元まで武将代々の朱黒印の
寄進もあったが
元亀年間 武田信玄がこの地に出兵乱入の際
所伝の古文書類はもとより社殿等兵火に罹り
全て焼失。
御神体のみ疎開
戦乱平定後 武田氏は神威を畏れ社殿を再建し
元亀三年 御神体を還幸した。
太古より白羽大明神と称せられ
延喜式榛原郡五座の内白羽村鎮座の
白羽大明神を以って服織田神社なりと
考証されている。
延喜式に云う白羽官牧に発生した牧場(馬)の
守護神として古来より馬持ちの参詣する者が
多いため 祭典を白羽馬祭と称し
遠近より参詣の馬は何れも装飾の美を競い、
境内は馬と人で埋まったと云う。
近代 農業が機械化され
馬の姿すら見られなくなったが
馬は疾走中といえども絶対に
人を踏むことのない霊獣であり
自動車交通安全にと信仰が変わっている。
御祭神:天津日高日子穂々手見命・豊玉毘賣命・玉依毘賣命
元宮である岬の駒形神社より遷る。
旧社地の駒形神社は 往古沖で遭難した
九十頭の馬の内一頭が岸にたどりついた地と
される。
残りの馬は沖の御前岩と化したと云う。
服織田神社とも云われ 旧縣社として
古くより信仰が厚い社。
また 往古は馬をお祀りしていた。
これは 龍神信仰によるもので
海辺では名馬が育つと信じられたため。
仁明天皇承和元年
神様のお諭しにより宮処を廻り
青龍・白虎・朱雀・玄武の魔除の
四神相諮り相応の処を定め 承和四年遷座。
武門武将の崇敬篤く
源頼朝以来白羽地区全域が神領。
永禄年間 今川義元まで武将代々の朱黒印の
寄進もあったが
元亀年間 武田信玄がこの地に出兵乱入の際
所伝の古文書類はもとより社殿等兵火に罹り
全て焼失。
御神体のみ疎開
戦乱平定後 武田氏は神威を畏れ社殿を再建し
元亀三年 御神体を還幸した。
太古より白羽大明神と称せられ
延喜式榛原郡五座の内白羽村鎮座の
白羽大明神を以って服織田神社なりと
考証されている。
延喜式に云う白羽官牧に発生した牧場(馬)の
守護神として古来より馬持ちの参詣する者が
多いため 祭典を白羽馬祭と称し
遠近より参詣の馬は何れも装飾の美を競い、
境内は馬と人で埋まったと云う。
近代 農業が機械化され
馬の姿すら見られなくなったが
馬は疾走中といえども絶対に
人を踏むことのない霊獣であり
自動車交通安全にと信仰が変わっている。
御祭神:天津日高日子穂々手見命・豊玉毘賣命・玉依毘賣命
すてき
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