あきはじんじゃ
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楽しみ方浜松秋葉神社のお参りの記録一覧

鳥居から拝殿まで奥行があり境内が広い社でした 住宅地の中に鎮座されていましたが静謐な雰囲気でお詣りした日は暑い日でしたが境内は清涼な空気でした

御朱印をお願いした際に頂いたおこしです

書入れしていただきました



手水舎

両手で水を受ける作法は初体験でした







拝殿から境内を振り返った風景です

参道傍にありました 祭祀の際に火を起こす様です

お札納めの建屋です

拝殿から社務所に向かう参道並行の回廊

社務所





浜松神社巡り⑤徳川家康が浜松城の浦鬼門鎮護の為勧請した神社です。鎮座地は家康の長女亀姫を正室とする奥平信昌の屋敷跡です。又、武田家家臣を組み入れ、その際に「信玄衆誓詞」(天正壬午甲信諸士起請文)を奉納された神社であるので、武田家の赤備えを井伊家が引き継いだことから井伊の赤備え発祥の地とも云われています。鳥居から社殿まで鮮やかな朱が引き立ち目立ちますが、多くの江戸期の灯篭も残っています。この辺りから気温は上昇してきて、スマホをナビにカメラに使っているので又調子がおかしくなってきました。

社号標


鳥居

灯籠(三州西尾城主、松平和泉守乗寛(文化七年(1811))奉納



参道


大正十二年(1923)奉納の灯籠


灯籠

嘉永七年(1854)奉納の灯篭

手水舎

手水盤


明治四年(1871)奉納の灯籠


文化九年(1812)奉納の灯籠


明治二年(1869)奉納の灯籠

明治四十一年(1908)奉納の灯籠台座


狛犬


拝殿

扁額

本殿



秋葉灯籠


享保十五年(1730)、三州吉田城主松平豊後守藤原資訓奉納の灯籠


延享四年(1747)、丹波亀山城主、青山因幡守忠朝奉納の灯籠


「奥平信昌邸跡」石標


由緒書

💜大河ドラマ聖地巡礼
浜松秋葉神社
徳川家康公が浜松城入城の際に、秋葉山本宮より勧請し、城の裏鬼門にあたる丘陵、家康公の長女亀姫を正室にした家臣奥平信昌の屋敷に建立されました。
(奥平信昌は大河ドラマの「長篠を救え!」の回で、武田軍から長篠城を守り抜き、鳥居強右衛門を伝令に送り出した武将でした)
またその後、甲斐武田家が滅亡した際には、その遺された家臣を召し抱える事となった家康公が、忠誠を誓わせた起請文をこちらに奉納させたそうです。
そして武田軍の家臣団と赤備えを、徳川四天王と成る井伊直政公が継承し、徳川軍の精鋭部隊「井伊の赤備え」として活躍し、その戦での勇猛果敢な姿は「井伊の赤鬼」と称さる事となりました。
今は住宅街の中にあり、見た目こじんまりとした神社ですが、浜松城下に於いては奥平信昌をはじめ山家三方衆の屋敷跡であったり、井伊の赤備え発祥の地として、徳川、武田、井伊の三家の繋がりを結ぶ、歴史に彩られた大切な場所です。












こちらも予てより参拝したいと思っていました
が、ここ最近ずっと天気の悪い日が続いていて
折角伺うなら境内の朱色が映える晴天の日に、
との思いが今日叶いました。
徳川家康公が浜松城に入城の際に、城の裏鬼門
にあたる山に勧請したのが御由緒です。
秋葉山本宮と同じ主祭神、火の神の迦具土神を
彷彿とさせるような朱色の境内ですか、その色
は「井伊の赤備え」の色でもあります。
甲斐武田家が滅亡した際、その遺された家臣を
召し抱える事となった家康公が、忠誠を誓わせ
た起請文をこちらに奉納させたそうです。
そして武田の赤備えを家臣団毎継承したのが、
徳川四天王と成る井伊直政公で、徳川軍の精鋭
部隊として、その戦での勇猛果敢な姿は「井伊
の赤鬼」と称されたそうです。
朱色の境内の鮮やかさは、そんな郷土の英傑達
と繋がっていた、歴史浪漫溢れる神社でした。



社号標の朱色が利いてます!


右手に社務所があります

参道は真っ直ぐに伸びています

手水舎



拝殿


奥にみえる御本殿


結婚式や結婚写真等のロケーション
としても人気のようです

境内の所々に大名が奉納した燈籠が
あります


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