ごしゃじんじゃ すわじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
五社神社 諏訪神社ではいただけません
広告
五社神社 諏訪神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年03月14日(月)
参拝:2022年2月吉日
【遠江國 古社巡り】
五社神社・諏訪神社(ごしゃ~・すわ~)は、静岡県浜松市中区利町にある神社。隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社が昭和戦後の1960年に宗教法人格を一つとしたもの。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。五社神社の祭神は、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神、諏訪神社の祭神は建御名方命、八坂刀売命、事代主命。
五社神社は、戦国時代初期の曳馬城(のちの浜松城)主・久野越中守が城内に創建したことに始まる。のちに徳川家康が浜松城主となり、1579年に三男長松(のちの2代将軍・徳川秀忠)が誕生すると当社を産土神とし、現在地に社殿を建立して1580年に遷座、社領15石を寄進した。1610年に徳川秀忠から100石が寄進され、1634年に徳川家光上洛の際に東照宮を勧請して朱印地は300石とされた。明治時代に入り、県社に列格した。
諏訪神社は、平安時代初期の791年に坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村(現・浜松市天神町)に奉斎したことに始まる。戦国時代の1556年に神託により浜松に遷され、五社神社同様、徳川家の崇敬を受けた。1634年の家光上洛の際に、五社神社同様、東照宮を勧請し社領を加増され、朱印地は300石とされた。1641年に家光の命により、現在地の五社神社社殿の隣に社殿が造営され遷座した。これら社殿は昭和戦前には国宝に指定されていたが、1945年6月の米軍による浜松空襲により、五社神社の社殿とともに焼失した。両社合併後、1982年に現社殿が再建されている。
当社は、JR東海道本線・浜松駅の西北西1km弱の市街地中心部、ごく緩やかな傾斜地にある。昭和後期に再建された大社だけあって、市街地中心地にあるにしては広い敷地を目一杯活用して、巨大な社殿と、大きな社務所、大きな参集殿(結婚式場)、駐車場と、無駄なスペースがない。現代の若者にも分かりやすい大神社だが、千年の歴史のある古社と考えると少し寂しい(無論、米軍空襲で焼失しているので致し方ないことだが)。
今回は、静岡県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の夕方で、天気も小雨が降ったり止んだりで良くなかったが、さすが地元に根付いた大社らしく、自分以外にも何人も参拝に訪れていた。
境内南端入口全景。浜松駅の北西の街中にある。
入口の<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐり、左に駐車場、右に社務所がある場所から社殿を望む。
参道右側の<手水舎>。
参道左側の建物。結婚式場みたい。
階段を登ったところから<社殿>遠景。社殿を中心に左右に翼殿が広がる。
<拝殿>全景。2層になっているが2階建てかな。1982年の再建。
拝殿前左側の大きな<狛犬>。青銅製かな。
拝殿前右側の<狛犬>。マッチョ系。(o^―^o)
<拝殿>正面。神紋も2つ重なっている。
<拝殿>内部。とても豪華。
<社殿>を斜めから。
右翼殿の右側から裏手に廻ってみる。
拝殿に比べるとサイズ的には控え目な<本殿>。極彩色が綺麗。
本殿の右側にある大きな建物。神輿庫かなにかかな。
<社殿・翼殿>全景。
階段を上がってすぐ左側にある<五宝稲荷社>。
<五宝稲荷社>全景。意外にも境内社はこちらのみみたい。
最後に<拝殿>全景。
入口鳥居をくぐってすぐ右側にある<社務所>。御朱印はこちら。(^▽^)/
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。